日本発着も入れて10日間のツアーも終盤にさし掛かってきました。
この日は7日目。モンテネグロのコトルを朝8時に発ち、昼過ぎ、ボスニア・ヘルツェゴビナに入ります。まずモスタルを観光後、また135キロ走って首都サラエボを訪れる行程です。
ボスニア・ヘルツェゴビナについて
人口318万人、一人あたりGDP(PPPベース)10千ドル 共和制、首都サラエヴォ。住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%など。それぞれの民族の差異は主に宗教と歴史的経緯によるもので、それ以外の言語・文化の面では3つの民族に大きな違いはありません。それ以外にロマなどの少数民族が住んでいます。公用語はボスニア語、セルビア語、クロアチア語。
地方差が大きく、ヘルツェゴビナと呼ばれる南部は海抜高度2,000mを超える山地が多い。南西部は石灰岩によるカルスト地形で乾燥、南西のネウム付近では、アドリア海に面して20キロメートル程の海岸線を持っています。北部のボスニアはサヴァ川流域を中心に大陸性気候、南部のヘルツェゴビナは地中海性気候となっている。主要産業は林業、鉱業、繊維業など。通貨は兌換マルク(BAM)
この国(地域)の簡単な歴史
歴史的に多様な民族が共存と分離を繰り返してきた地域です。
・多文化の交差点: 中世は独立した王国でしたが、オスマン帝国の支配を経てイスラム教徒(ボシュニャク人)、セルビア人(正教)、クロアチア人(カトリック)が混在する複雑な社会が形成されました。
・当初インドヨーロッパ語族のイリュリア人が住んでいましたが、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に入り、その後、6世紀後半からスラヴ人が定住し始め、中世の頃にはそれぞれ王国を形成しています。
・中世には独立王国が栄え、その後、15世紀後半までにはボスニア・ヘルツェゴビナの全域がオスマン帝国の支配下に入り、正統派のキリスト教勢力から弾圧を受けていたボゴミル教徒たちの多くはこのときイスラム教に改宗しています。
・19世紀後半、オスマン帝国の衰退に伴い、バルカン半島はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となりますが、オーストリア・ハンガリーはボスニアとヘルツェゴビナの施政権を獲得、1908年にボスニア、ヘルツェゴビナ両地域を併合します。
・1914年、首都サラエボでオーストリア皇太子が暗殺され、第一次世界大戦の引き金となりました(サラエボ事件)。
・第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(その後ユーゴスラビア王国と改称)が建国されボスニア、ヘルツェゴビナは共にその一部となりました。
・第二次世界大戦時、ナチス・ドイツと同盟する枢軸国の支配下に置かれますが、戦後、ユーゴスラビア連邦の構成共和国の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が誕生しました。
・(ボスニア・ヘルチェゴビナ紛争)1992年、ボスニア政府はセルビア人がボイコットする中で国民投票を強行し、ユーゴスラビアから独立しますが、セルビア人やクロアチア人は、ボシュニャク人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を作って対抗、3年半以上全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生、1995年に国際連合の調停で紛争は終結しましたが、今でも「一つの国の中に二つの共和国(政府)」が並立する複雑な体制となっています。
モスタルまでの車窓風景
モンテネグロのコトルを朝8時に出発、北上して約2時間、国境が見えてきます。何度目の越境でしょうか、初日のブルガリアエミグレ以外はどこもスムーズ、パスポートを集めて、ブースの中で何やら作業して、返却、それだけです。
国境を越えても景色はさして変わりません。ただ、沿道にやたらとお墓が多い。それも新しそうなお墓。
聞いたら思ったとおりでした。代々のお墓とか、そういった昔の人のお墓じゃなくて、まさに最近の戦乱の中で失った愛する人達が眠っているんです。
冒頭に示した「簡単な歴史」の項の繰り返しになりますが、この国は1992年にユーゴスラビアから独立した新しい国。そのユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」ともいわれ、非常に複雑な事情を抱えていました。チトーという卓越した政治家の下で1つの国家をたもって来ましたが1991年に解体、その過程で、「ボスニア紛争」がおこっています。
当時の住民約430万人の44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していましたが、全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となっています。
この悲しみ、想像することができません。悲しみだけでなく、もしかしたら悔しさ、怒り、今にみていろよ、なんて感情もあるかもしれません。平和ぼけしている私にはわかりませんが。
絵葉書のようなモスタルの街
さて、ブドウ畑や小麦畑を見ながら進み、モスタルの街到着は13時すぎ。
「モスタル旧市街の石橋と周辺」はユネスコ世界遺産に指定されています。「世界遺産ナビpamon」によりますと「モスタル旧市街は、15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の国境都市として発展し、19世紀から20世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代にも繁栄を遂げました。この地域は、オスマン帝国、地中海、西欧の建築様式が融合した独自の都市景観を形成しています。街の中心にある石橋は、スターリ・モスト(古い橋)と呼ばれ、16世紀にミマール・スィナンの弟子ミマール・ハイルッディンが設計し、オスマン建築の傑作とされています。1990年代のボスニア紛争で街の大部分とともに破壊されましたが、2004年に各国の援助やユネスコの支援を受けて再建され、和解と国際協力、多文化共生の象徴となっています」だそうです。
サラエボ、東欧風の変わったホテル
モスタル観光後、首都サラエボに向かいます。こんどは、山がちかくなります。
135キロもある上に、途中工事渋滞もあり、到着は19時近くになってしまいました。
Hotel Hollywoodと、いかにも田舎っぽいネーミングのホテルなのですが、ガイドさんいわく東欧スタイルだとか。
中に入って納得しました。沢山のショップ、スーパー、床屋さん、だだ広い食堂などがあり、下駄履き雑居ビルと言った感じ。幸い、部屋はきれいでした。
スーパーには、一帯では珍しくもナマのお魚がありました。もちろんお刺身はありませんが。
朝の散歩、サクランボつみ
8日目の出発時刻は9:00と、少し余裕があります。近所に広い空間が広がっていましたので、散歩にでました。ミリャツカ川という川が流れていて、その土手沿いにサイクリングロードがしつらえてありました。そこの横を、近くの車道まで歩いて、ぐるりと回ってホテルに帰る、30分か40分のコースです。
電車道の街路樹を見上げると、なんとサクランボがたわわになっています。地元の人か通りすがりの人か解りませんが、枝から獲っている人がいて、サラダに獲っていけ、とのお達し。彼らの感覚では、水菓子とかデザートといったものでなく、サラダか。
一緒に摘んでみたら、小さいながらも美味しい。黒く売れたものは甘く、赤い半熟のものは爽やかな甘さ。1本だけではありません、その通り一帯、並木になっており、誰も穫る人はいないのでしょう、完熟した実が下にいっぱい落ちています。もしかしたら違法行為かもしれませんが、旅の恥は書き捨て。良い空気を吸って、おいしい「サラダ」を賞味、早起きは3文の得でした。
サラエボ市内観光
さて、9時にホテルを出、市内観光に行きます。
街の中心部、ミリャツカ川にかかるラテン橋のそばでバスを離れます。
川はなぜか、茶色く濁っています。流域の土壌が影響しているためで、血の色ではありませんが。
右の写真、SARAWVOとかかれているモニュメントのうしろは市庁舎です。
左の写真は、イサ・ベゴブ・ハマム、オスマン帝国時代の公衆浴場で、リノベーションされホテルとして使われているそうです。
サラエボと言うと、大昔学校で習った、サラエボ事件、詳しい内容はともかく、何となく覚えています。
ラテン橋をわたったところに、そのサラエボ博物館があり、皇太子の乗っていた車のレプリカが展示されていました。(本物はウィーンにあるのだそうです。)
地図によると、付近に「人道に対する罪と虐殺に関する博物館」なんてのがありましたが、行きませんでした。
旧市街、バシチャルシヤ地区には、おしゃれな小径やオスマン帝国時代の建築様式の建物がたくさん残されております。。
たまたま覗いた大天使ミカエル・ガブリエル教会。周辺にはいくつもの教会、モスクがあります。
バシチャルシャ広場の中心には水飲み場があり、周辺に職人街、土産物屋、カフェが並んでいます。
セルビアのベルグラードに移動、運転手さんの労務管理について
昼食後、セルビアの首都、ベオグラードにむかいます。また、290キロほどを7時間近くかけて走ります。まったく忙しい旅、総移動距離は1800キロ、青森から北九州まで走る勘定です。途中何回かトイレ休憩があるのですが、全員の用たしが終わっても発車シないときがあります。
理由は、労働時間規制のためで、30分とか1時間とか休まないと、タコメーターが文句を言ってくるのだそうです。運行会社と運転手の所属するアルバニアの規制なのか、一帯共通の規制なのかわかりませんが、よく出来ています。
数ヶ月前、パキスタンのハンザに言った時なんか、朝4時頃から夜中の20時すぎまでぶっ通しで走っていました。
さて私は、乗っているだけ。気楽に景色を眺めていきます。
国境通過は16:20、ホテル到着は20時近くになりました。お疲れ様。
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。