2026/07/13

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その6)モンテネグロ

アルバニアのティラナから、約5時間、260キロ移動して、モンテネグロのコトルに入ります。コトルは街全体が自然と文化歴史地域としてユネスコの世界遺産に登録された街です。





モンテネグロについて (国名には「共和国」がつかない)

人口62万人、一人あたりGDP(PPPベース)15千ドル 共和制、首都ポドゴリツァ。民族構成はモンテネグロ人が45%、セルビア人が29%、ボシュニャク人が9%、アルバニア人が5%、他が12%、第一公用語はモンテネグロ語、他に4言語(アルバニア語、セルビア語、ボスニア語、クロアチア語)が公用語に指定されています。宗教は、74%が正教会、イスラム教が17.74%

バルカン半島西部のカルスト地形の一部となっているセルビア、コソボ、およびその国境に沿った高い山脈から、幅わずか1.5〜6km(1〜4マイル)の狭い沿岸平野にまで及んでおり、沿岸部は温暖な地中海性気候、内陸部は大陸性・山岳性気候を示します。主要産業は農業,製造業,観光業、農業ではタバコや穀物、製造業では鉄鋼やアルミ加工が主流。通貨はユーロ (€)(EUR)。

この国(地域)の簡単な歴史

「黒い山」を意味する名の通り険しい山岳地帯で、オスマン帝国がバルカンを席巻する中でも、実質的な独立を維持し続けてきました。

・古くからイリュリア人が住んでいましたが、6世紀後半頃にスラブ人が住むようになり、10世紀までにドゥクリャ公国という半独立の国を形成、東ローマ帝国にも貢ぎ物を送っていました。

・後セルビア王国に大公と呼ばれるステファン・ネマニャが現れ、ドゥクリャを支配しましたが、山岳地帯を拠点にオスマン帝国への抵抗を続け、モンテネグロ主教領として独立を維持してきました。1852年に世俗的な公国にし、モンテネグロ公国となり、その後、オスマン帝国との衝突、クリミア戦争、などを経て1905年にモンテネグロ王国となります

・1918年にセルビアに併合、セルビア、スロベニア、クロアチアに取り込まれ、後にユーゴスラビア王国を形成します。

・第二次世界大戦中にユーゴスラビアは解体され、イタリア王国の占領下に置かれるも、1944年、ユーゴスラビアに復帰。1990年代のユーゴ解体時もセルビアと新ユーゴ連邦を構成しました。

・2006年には住民投票で55.4パーセントという僅差でセルビアとの国家連合から平和的に分離独立。現在は独立国家としてEU加盟を目指しています。

ティラナからコトルまでの車窓風景

ヨーロッパらしい風景、アドリア海が見えてきます。





左はバルという街のようです。高層建築が見られます。

最大の街、ブドゥバをすぎると、もうすぐコトル、看板が気分をもり立てます。




コトル旧市街の城壁の中を観光

市街に入ると、上の方に城壁が見えてきました。万里の長城のように、山の方まで城壁がつくられています。





ホテルのある場所は左の写真のように落ち着いた通りですが、城壁はその先の方にある一方、バスの駐車場は後方にあり、暑い中、長距離を何度も歩かされました。
右の写真はヨットハーバー、ここを進んで、右手に見える城壁内に入っていきます。




ちなみに、このコトルという場所は、下の地図のように、アドリア海の内海のそのまた内海ともいえる奥まった所に位置します。

前に並ぶ食べ物屋や果物・ドライフルーツ売りなどが並ぶエリアを抜けると、場内への入口に達します。



左は、旧時計塔。1602年に建造されたこの街のシンボル的存在です。


左は、聖トリプン大聖堂、これも武器広場に面しています。


武器広場も楽しいですが、こういう小径が楽しい


山の方を見ると、上の方にも城壁らしいものが見えます。

海洋博物館です。入口には大砲が展示、中には船舶模型、海図、武器などが展示されているそうです。




こちらは、ネコ博物館。公式ではなくパロディ? 看板の下で衛兵が番をしていました。入場料を取られるので中には入りませんでしたが、猫グッズが並んでいるのかな。


小さいながらも聖ルカ教会。









コトルロープウェーで湾内を一望

ロープウェーに11分の乗車、ロヴチェン山の標高1,350m地点まで登ります。湾を見下ろして絶景。17時をまわっていたので、湾が光っていました。



美味しかったもの


食べ物はどれも美味しかったけど、城壁の中で昼飯に食べたイカのグリルと、ホテルで翌朝食べた、小さな密をからめたクロワッサンが珍しくて美味しかった。




コトル湾をフェリーで渡る

翌日は、ボスニアヘルチェゴビナのモスタルへ向かいます。
出発は8時、190キロの行程です。

途中、嬉しいことにカーフェリーに乗船しました。湾のまわりを大きく迂回する道路を避けてのショートカットですが、10分かそこらのクルージングを楽しみました。









読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その5)アルバニア

北マケドニアのリゾート、オフリドの湖畔のレストランで昼食を食べたあと、約140キロ移動、国境を越えてアルバニアの首都、ティラナに入ります。17時にホテル到着、1泊、翌朝はモンテネグロに移動するという短時間の滞在です。幸い、19時すぎまで明るいのですが、観光は夕方から夜にかけての短時間です。




アルバニア共和国について

人口280万人、一人あたりGDP(PPPベース)14千ドル 共和制、首都ティラナ。人種はアルバニア人が大部分ですが、国土の北部と南部では言語や風習に差異があり、南部にはギリシャ人などもいる他、国境付近にはマケドニア人やモンテネグロ人もいます。言語はアルバニア語が公用語。オスマン帝国支配の経緯から、イスラム教徒が大半を占め、欧州唯一のイスラム協力機構正規加盟国ですが、信仰形態は非常に世俗的。

海岸部の平野以外は起伏があって山がちな地形が多く、国土の約7割が海抜高度300メートル以上、国土の約40%が森林、海岸付近は典型的な地中海性気候。農業従事者の比率が高く、政府は農業以外の産業確立に苦心、。輸出については衣類を中心とした軽工業が主体。つい最近まで長年にわたり欧州最貧国の扱いを受けていた。通貨はレク(ALL)

この国(地域)の簡単な歴史

・紀元前1000年ごろから、スラヴ系でもギリシャ系でもない、インド・ヨーロッパ語族に属する独自の言語アルバニア語をもつ古代イルリア人が暮らし、南方の古代ギリシア文化の影響を受け、またいくつかのギリシャ植民地が建設されています。その後ローマ帝国・東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配を受けました。中世には各地の領主が勢力を争いました。
・15世紀になると、オスマン帝国に征服され、約400年間支配されます。この時代にイスラム教が広まりましたが、民族意識も育ちました。
・第1次バルカン戦争の途中、1912年に独立を宣言。アルバニア共和国、その後アルバニア公国となったものの、第一次世界大戦、無政府状態になります。第二次世界大戦後は社会主義国家となりますが、ホッジャ独裁政権のもと、ソ連や中国とも決裂して長く鎖国政策を続けました。
・冷戦終結後、1991年に民主化と市場経済へ移行し、2009年にNATO加盟、EU加盟を目指して改革を進めています。

途中風景

北マケドニアのオフリドからアルバニアのティラナまで国境を越えて4時間のドライブ。国境はスムーズでした。
車窓には遠くの山が見えます。すごい橋が見えたので写真撮っておきました。後ほどGoogleレンズで調べたら、「アルバニアのシュクンビン渓谷に位置するBushtrica Bridgeです。1973年頃に完成した鉄道橋で長さは約255メートル、高さは約50メートル、当時の傑作と言われています」とのことでした。列車にのって通れば絶景でしょうね。


市内にはいっても緑が多く、落ち着いた感じです。さすがイスラムの国、大モスクが見えます。


スカンデルベク広場とその周辺

ところどころに高層ビルが建っています。左の写真の下の方に、花が咲いていますが、キョウチクトウ。ここではやたらと見かけます。有毒植物ということで、あまり好きではありませんが、特に真っ赤なのが多く、青空に映えます。

やがて、ホテルのある中心地に来ます。
右の写真、湖の写真じゃないですよ。タイル張りの広場、スカンデルベク広場といい街の中心です。
水がたまらないように少し傾斜をつけているみたいです。


スカンデルベクう広場に面して、手前が今回宿泊したTIRANA INTERNATIONAL、その後ろが新しく同じ経営により建てられたINTERCONTINENTAL HOTELです。右奥の前衛的な建物はTirana's Rockという商業ビルだそうです。新興国らしく派手好きですね。 右はオペラ座。


これは国立歴史博物館。右の写真は、冷戦時代、共産主義政権下で作られた核シェルター、Bunk's art 博物館として使われています。


シェルター入口の背面と、別のシェルター。当時国内に数十万のトーチカが作られたそうです。横に立っているのは、観光関係ではなく、多分コスプレイヤーたち。今は平和です。


これは、コスプレ衣装ではなくて、ホテルに飾ってあったものです。

広場を挟んで反対側にエトヘム・ベウト・モスクがありました。中は静かでした。この国のモスリム、あまり熱心じゃないと聞きます。そう言えば、この旅行中、アザーン(朝の礼拝を呼びかける放送)を一度も聞きませんでした。熟睡していたのかも知れませんが。



広場をでると、大通り、往来はしずかで、歩道際にはトルコアイス(正式にはマラシュ・ドンドゥルマと呼ばれ、粘るのが特徴)を練り上げるパフォーマンスをしているオジサンがいました。(右)城壁の中につづく小道にはいっていくと、土産物屋が並びます。お酒、沢山売っているんですよね。ワインやさんもあるし、ミニチュアボトルのリカ類を沢山並べている店もあります。そうか、イスラムと言うより、旧ソ連圏と聞くと納得がいきます。









締めは大型ショッピングセンター


大型ショッピングセンターがありました。中のスーパーを覗いていると楽しい。








読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。