2026/03/12

バングラデシュは意外とよかった(その1 準備・出発)

混沌に惹かれて

バングラデシュに行ってきました。アジア最貧国で、街はインド以上にカオスという評判、バックパッカーたちがYoutubeに投稿しているのをみても、まさにカオス。でも妙な活気がありそうでしかも治安は良く親日といいます、無性に行きたくなってしまいました。

今回、交通手段の確保が難しそうだったので、現地旅行社や安い「募集型企画旅行」(パッケージツアー)を探したのですが、手ごろなものがみつからず、結局、ファイブスタークラブという旅行社にお世話になりました。ここは名前のとおり5人の旅行好きが立ち上げたニッチ専門?の旅行社で、ツアーと言っても、団体ではなく、一人旅+専属の日本語ガイドと運転手という贅沢なツアーになってしまいました。人件費の安い国ならではで、ちょっと気が引けたのですが、手間いらず、低リスク、非常に効率よく、有難かった。

バングラデッシュという国、全体の行程と主な観光地

もともと英領インド、その後、1947年に独立する際、ヒンドゥー教徒の多いインドと、イスラム教徒の多いパキスタンに分かれ、そのパキスタンはインドを挟んで東西の飛び地国家として誕生、その後、1971年に西パキスタンが今のパキスタン、東パキスタンがバングラデッシュになったという歴史をもちます。イスラム教徒が90%を占める国ですが、ヒンドゥー教徒も9%、その他も1%おり、比較的ゆるく共存しているようです。

148.5千㎢の国土に人口が1億7千万人ほどおり、人口密度が非常に高い(日本は378千㎢に1億2千万人)

グラミン銀行によるマイクロクレジットが有名で、創設者のムハマド・ユニス氏は貧困層救済の功績によりノーベル平和賞を受賞しています。

行程

上記の地図のように、

ダッカ → ボグラ → ディナージプール → バハルブール → ラジシャヒ → → プティア →  クルナ → モングラ港 → ダッカ → ショナルガオン →ダッカ とめぐります。

途中の観光地は

・パハルプール仏教遺跡 (ラジシャヒにある8世紀ごろに建設されたバングラデシュ最大の仏教遺跡)
・バゲルハット(クルナにある15世紀のレンガ造りモスク都市)
・シュンドルボン国立公園 (モングラ港から行く世界最大のマングローブ林)
の3つ。
このほか、
・モハスタン(ラジシャヒにある8世紀から12世紀頃に栄華を誇ったパーラ王朝時代に建てられた仏教の都市遺跡、バシュ・ビハール僧院、レンガ造りの城壁など遺跡が点在)
・ゴパーラ寺院(プティアにあり、屋根と外壁のテラコッタが特徴的)
・シヴァ寺院 (プティア にある)
・ゴビンダ寺院 (プティア にある)
・ショナルガオン(ダッカに都が移るまでベンガル地区の中心として栄えた古都)
パナムノゴル(ダッカ郊外にありショナルガオンにありヒンドゥー教徒の豪邸が廃墟になって残っている)

以上結構盛沢山です。

日付

スケジュール・観光内容

宿泊地

1日目


 到着後、ホテルへ送迎。

ダッカ

 

 

2日目

ダッカ→ボグラ→モハスタン→ディナージプール。途中ジャムナ橋を通過。午後、モハスターンの仏教遺跡観光。

ディナージプール

 

3日目

早朝:カントノゴル寺院。午前:ディナージプールバハルプールラジシャヒ。途中、世界遺産のバハルプール仏教遺跡観光。

ラジシャヒ

 

4日目

早朝:ガンジス河の日の出。午前:ラジシャヒプティアクルナ。途中、プティア観光(ゴヴィンダ寺院等)。

クルナ

 

 

5日目

午前:クルナモングラ。世界遺産のシュンドルボン国立公園(マングローブ林)を1日クルーズ。終了後クルナへ。

クルナ

 

6日目

午前:世界遺産バゲルハット観光(イスラム建築群)。

観光終了後、ダッカへ。

ダッカ

 

7日目

午前:古都ショナルガオ観光。午後:ダッカ市内観光(ラールバーグフォート、国会議事堂)。深夜、空港へ。

機中泊

8日目

DAC 0:50ー(MH197)650KUL KUL930ー(MH070)1730NRT

-

(7日目のラールバーグフォート、国会議事堂は交通渋滞のため割愛)

事前準備

今回は、交通も宿も旅行社が手配してくれているので、事前準備は、ビザの取得と、旅行保険、eSIMの購入、パッキング、このくらいしかやることなく、楽勝。ただし、ビザは大変てこづりました。

ビザ取得に一苦労

旅行社に依頼すると1万円ということだし、パスポートを郵送するなど煩わしいので自分でとることにしました。自分のことは自分でやれと子供の頃親から教わっていますし、今、子供から出来ることは自分でやらないとボケるよと忠告されていますので。

早速、在日バングラデッシュ大使館のWEBサイト訪問。Home | Embassy of the People’s Republic of Bangladesh, Tokyo
ところが、大使館のWEBサイトでも、手続き部分は出てきません。Consular Serviceというボタンもあるのですが、クリックしても、先にすすみません。
電話したら、片言の日本語の方がでてきて、ネットを見ろとのご指示、途方にくれました。

あまり訪問者もいないと見えて、ブログなどでも紹介している記事にはヒットしません。
旅行社に問い合わせても、具体的な手続きは教えてくれません、自分の所にたのまなかったら意地悪しているのだとは思いませんが、多分、業者に任せているので、担当の人はご存じないのでしょう。

ネットで、ビザ申請で検索すると、「バングラデシュのビザ申請は、2024年11月以降、主にオンラインで申請書を作成し、VFS Globalにて手続きします。観光や商用で日本国籍の方は、空港到着時のアライバルビザ(VOA)も利用可能ですが、事前申請が推奨されます。」と出てきますが、ここでも大使館のウェブサイトで申請しろとなっているし、VFS Globalというのは誤情報のようです。つまり、ダメ。

気を取り直して、なおも検索、AIの助けも借りやっとたどり着いたのが本国のサイト。ここで、問題を解決することが出来ました。

【手続き】
①バングラデシュ政府の公式オンラインポータル Bangladesh Online MRV Portalで、申込フォームに入力
②バーコード付きの印刷フォームが出てくるのでこれを印刷、
③その用紙に写真を添えて、大使館に持ち込む。
④手数料は無料

なお、本国のサイトに記載されている大使館の住所を見ると<目黒区目黒4-15-15>になっています。念のためにGoogleMapで見るとそこは何もない。
大使館の住所は東京赤坂なのに、と思ってよく調べると、どうも2016年3月末に麹町(紀尾井町)に移転したのに、本国のサイトは更新されていないことが判明。

受付時間は書いていないのですが、多分午前中だろうと、パスポートとともに持ち込むことに。(もう一度電話で受付時間聞けばよかったのですが、嫌気指していたので、あてずっぽうで午前中に訪問、正解でした。)

赤坂にあり、立派な建物です。専用窓口があり、先客が一人だけいました。先客は専門業者らしい人で、受付の人に「アライバルビザは暫く停止していると聞きましたが、本当ですか」と聞いていました。答えはYes、選挙が行われていてその期間中は停止しているとのこと。
事前情報によると、相互ビザ免除は停止したのですが、アライバルビザ(VOA)も利用可能、しかも無料とのこと。
ただ、当日空港で並ぶののがいやなので念のため事前にビザをとることにしていたのですが、危ういところでした。そんなこと、聞くまでわからないとは。

そんなこんなで、大変でしたが、無事、3日後に押印ずみのパスポートの返却を受けることが出来ました。

どうもこの国、観光にはあまり力をいれていないのでは、と思いたくなる対応でした。

出発、旅行開始

(1日目)

マレーシア航空に搭乗、乗り継ぎの待ち時間たっぷり

オンラインチェックインしてあったので、自宅でプリントした搭乗券で出国手続き完了。セキュリティーチェックもスムーズ、1005発のMH0089便に搭乗。嬉しいのはエコノミーなのにWi-Fiが使えたこと。素晴らしい。(帰りの便は、うまく使えませんでした。)

途中、クアラルンプールの長時間乗り継ぎを経て、予定どおりダッカのハズラット・シャージャラール国際空港に到着、入国もスムーズでした。

さすがに異国情緒たっぷり、肌の色は褐色ながら濃いのも薄いのも。概ねヒゲ、インド人を細くした感じの風貌、茶色のヒゲの人もいます。イスラム教徒が大多数なので、女性はヒジャブ、なかにはブルカですっぽり覆っている人もいます。

意外に思ったのは、インドとことなり、我先にという感じではなく、おとなしい感じ。

迎えに来た車は横浜トヨペツトのpremio、なんでも、新車が200%の税金を賭けられるのに対して、4年以上経過のの中古車は免除されるとか。

たまたま歴史的な選挙の投票日

到着した12日は、ちょうど総選挙の投票日。日本でも大きく報道され、それによりますと

2024年8月の政変以降、ムハンマド・ユヌス首席顧問率いる暫定政権が国を統治してきたが、国会議員は不在で、国民から選ばれた代表者による政治の復活が望まれていた。2008年を最後に、自由で公正な総選挙は行われておらず、18~35歳の有権者は実質的に初めて選挙に参加した。
総選挙では、女性枠の50議席を除く300議席が争われ、1の政党が計1,981人の候補者を擁立した。その結果、バングラデシュ民族主義党(BNP)が3分の2を超える209議席を獲得し、次の政権を率いることが決まった。ジャマティ・イスラミ党(JI)は、過去最多だった1991年の18議席を大きく上回る68議席を獲得した。学生らで構成される国民市民党(NCP)は、6議席にとどまった。 
同日実施された国民投票は、賛成多数(68.1%)を得た。(2025年11月14日記事参照)。政変を契機に暫定政権と政党間で合意した「7月憲章」で提示された4つの改革案について、国民の賛否が一括で問われた。賛成多数により、今後2期10年となる首相の任期制限や、比例代表制に基づき100議席を選出する上院の新設などについて、憲法改正の議論が進められる。

とのこと。
あいにく選挙の盛り上がりは見学できませんでしたが、投票日前日の水曜日と当日の木曜日が休日となっており、イスラム休日の金曜日、土曜日を加えて4連休となっており街もすいているとのことでした。 (14日付日経電子版より)

ガイドさんは熱心なBNP支持者、というか、前政権の評判が悪く、国民の大多数がそうだとのこと。
投票してきたと誇らしげに指を見せてくれました。二重投票防止のために、投票者の親指にマークするのだそうです。
良い仕組みですね、ろくろく身分確認もしない日本でも導入したらよい。



その後、旅行中、随所で祝賀会が開かれていたり、旗を掲げた青年たちが、勝利の気勢をあげていました。
(左の写真は、後日車窓から撮ったものです。3人乗りのバイク、大きな旗を持ったバイクなど集団で走り抜けていきました。)




ホテルに着いたのは23時、日本時間との時差は3時間です。
おやすみなさい。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

2026/01/02

ベトナム↔カンボジア陸路往復の旅(その8 プノンペン )

(10日目ー11日目)

9日目の夜、プノンペン入り。10日目は終日市内観光にあて、11日目は9:45発のバスで、ベトナムのホーチミンに入り、同日23:55タンソンニャット国際空港発の夜行便で帰国する予定です。

まずはロシアンマーケットへ

プノンペンはベトナムのハノイやホーチミンより歩きやすい気がします。交通量のせいか、歩道が比較的きっちり確保されているせいか、たまたま歩いたところがそうだったのか。まず、宿のそばにある、トゥートムポンマーケット(ロシアンマーケット)に向かいます。途中、パン屋さんが多いのに気づきました。意外でした。

あちこちで出勤前?の人が朝食をとっています。市場っていつどこで見ても楽しいですね。見慣れないもの、懐かしいもの、人々の一所懸命な、でも楽しそうな様子。

プノンペンは、バンコックやマニラより南なのですが、この時期30度前後で、南国の内陸なのに意外と暑くない。売られている果物もドリアンなども一部に並んでいますが、スイカやメロンがゴロゴロといった様子はありません。私の観察不足か、あるいは季節のせいかもしれません。







市場では、托鉢しているお坊さんを何組かみました。市場の人は信心深い人が多いからかもしれません。






中の方に入っていくと、食料品以外のものが並びます。下の写真なんか、秋葉原の電気街を思いださせます。








トゥールスレン虐殺博物館

また少し歩いて、午前中の主目的地、虐殺博物館に行きました。入館料は10ドル、日本人ですかと聞かれて、ヘッドフォンをわたされました。有料にしなくて入場料に含めるっての良いですね。説明を聞くのと聞かないのでは大違い、なかなか良い説明で、じっくり楽しませてもらいました。いえ、楽しんだのでなく、勉強させてもらいました。

建物は学校だったところ、元教室だったところに拷問具や展示物、説明パネルが並びます。ベトナム戦争終了後の1970年後半、人口の4分の1にあたる180万人を虐殺、それも想像を絶する拷問のあげくに死なせてしまったというのですから想像もつきません。人間、変な理想を信じちゃうと、あるいは権力欲の虜になると、ここまで酷いことを出来るんだなと思ってしまいます。去年アウシュビッツも見てきましたが、自国民に対してここまでやっちゃうのですから、より凄惨さが迫ってきます。中国の文化大革命や少数民族虐待などの実態はよく存じませんが、こういう博物館が作られるようになったら見に行きたいと思いました。






有刺鉄線はもちろん、逃亡防止のためで学校時代にはありませんでした。





王宮から国立博物館まで

このあとトクトクを拾って独立記念塔まで行きました。記念塔自体はなんというものでもありませんが、そこからニーク・バン・テアック公園、ワット・ボトム公園と繋がった公園をすす見ました。途中、見慣れたデブ将軍の写真がはられている建物があり、何かと思ったら北朝鮮の大使館でした。友好関係にあるんですね。当距離外交ということでしょう。

ワットボトム公園は公園と言っても木陰がありません。ベトナム友好記念碑が建っていました。木陰の無い公園、ハトも日陰にあつまっているのがおかしい。

公園を抜けると、前方に王宮のシルバーパゴダ、右手に最高裁判所が見えます。








王宮は大きいのに入口は1箇所のみ、かなり歩かされました。途中の塀もうつくしかったですが。









王宮の中です、どれが何か、よく判別出来ません。白いのがシルバーパゴダであるのはわかるのですが。




王宮本体、中は撮影禁止ですが、赤い絨毯が敷き詰められ、黄金のシャンデリアが下がっていて壁には様々なものが飾られていました。








宮殿の外のとおりです。広くて車通りも少なく綺麗です。





ワールドトイレットアソシエーションというなんだか分からないインフォメーションに寄って地図入手がてら食事をしました。日本並みのお値段でした。

そのあたりは、リバーサイドパーク。メコン川とトンレサップ川とが合流するあたりの少し上流、トンレサップ川沿いに設けられています。

なかなか気持ちの良い散歩道です、暑いけどね。

右側の子は、シンガポールのマーライオンのお古ではありません。それが証拠に水を吐きません。




王宮にほとんど隣接した場所に、国立博物館がありました。一部は撮影禁止でした。





セントラルマーケット近辺

少し進むとセントラルマーケット、そのそばには、ナイトマーケットの広場がありました。マーケットといっても、中には貴金属店などもあり、デパートの様相。







プノンペン駅

地図で見ると少し歩くと駅なので、行ってみました。走ってはいないのだと思いますが蒸気機関車が目立ちました。ほかにも列車が何編成か停まっていましたが、全部お休み状態、駅には人影がありません。駅の待合室はきれいなのですが、通信会社の売り場を兼ねているようで、駅の外観の表示も通信会社に乗っ取られている感じでした。




ワツトプノン

このあと、最後のひと頑張り、ワットプノンを目指します。

途中、エクスチェンジスクェアと書かれたビルがありました。名前からしてこの辺がオフィス街? 仏教国ではありますがクリスマスツリーが飾られていました。

ワットプノンの入口には緑でつくられた大時計があります。明らかにここが正門だとおもうのですが、扉はしまっていて、かなり大回りして裏?から入りました。長い階段の上にワットプノンがありました。








ナイトマーケット

翌朝のバス乗りば下見がてら、ナイトマーケットに行きました。左の写真は警察のバイク。マーケット警備のためとも思えないので、この辺に駐屯所があるのかもしれません。17時を少し回っていたのですが、マーケットは開き始めたという感じです。雑貨と食べ物屋がメインのようで、あまり期待できそうもありませんでした。




一つ面白いのは、広場一面にゴザ(ビニールシート)が敷いてあること。ここの人たちは椅子に座るより、地べたにあぐらをかいて座るのが好きなのでしょう。近所の店で料理をかってゴザの上で食べるというスタイルのようです。日本も昔はそうだったわけですが、いくつかの国行きましたがこういうの初めてです。





夜市と言うからには、生鮮食料品や食べ物屋がズラリと並んでいるのを期待していたのですが、平日だったこともあるのでしょうけれど期待外れでした。その代わり、すぐそばにあるkondal marketがなななか味がありました。

付近でレストランを探しますが、なぜかインド系ばかり。日もくれてくると歓楽街っぽくなってきます。このあたり歩いているのは白人が多いようです。




(11日目 最終日)

予定: プノンペン9:45 ー(Giant Ibis Transport 昼食付き)ー バヴェット/モクバイ国境 ー 16:15 ホーチミン (238キロ 6.5時間)

バスに乗車

前日下見しておいた、バス乗り場にむかいます。お隣のナイトマーケットは静まり返っていました。その代わり、隣のオールドマーケットでは、鰻や小魚がピチピチ元気、メコンの恵みですね。




乗客は、ニュージーランド、フランス等白人ばかり。3列シートの豪華バスで、交代運転手と英語堪能な女性乗務員がのっています。クロワッサンとコーヒー、水が配られました。 車内も綺麗で快適なのですが、それなのに窓は汚いのが残念。日本がきれいすぎるのでしょうね。

プノンペン、カンボジアともさよならです。空気もきれいでしたし、気候も概ね快適でした。クメール文字の印象か、なんとなく敬遠していた国でしたが好きになりました。






バベット→モクバイ国境が近づくと、なぜか街に漢字の多い一角があります。貿易かなんかで華僑が多いのですかね。

出国ゲートを出ると、大きな免税店があり、そこの併設食堂で昼食をとりました。焼きそば5ドルとぼつたくり価格でしたが、きのうのツーリストセンターよりまし。なぜかこの中間地帯に高層住宅が並んでいます。この中間地帯に免税工場でもあるんですか、謎です。







不思議だったので、AI(Google Gemini)に聞いてみました。少し長くなりますが、とても興味深いのでほとんどそのまま引用します。

結論から申し上げますと、あの中間地帯や周辺に建つ高層ビルは、主に「カジノ・ホテル」およびその「従業員宿舎」であり、さらにその背後には広大な「経済特区(SEZ)」という免税工場地帯が広がっています。

1. 高層アパートの正体:カジノ従業員とIT産業の拠点

あそこに建っている高層ビルの多くは、単なる一般向けマンションではなく、以下の目的で使われています。

カジノ従業員の宿舎: バヴェットには数十件のカジノが密集しています。24時間営業のため膨大な数のスタッフが必要で、その多くがビル内の寮に住み込みで働いています。

オンライン・ゲーミング(オンラインカジノ)拠点: 近年、カンボジアの国境沿いでは、海外向けのオンラインギャンブルやカスタマーサポートを行う企業がビルを一括で借り上げ、数百人規模のスタッフを住まわせるケースが急増しました。

ベトナム人・中国人労働者の居住地: ベトナム側からはカジノ客だけでなく、仕事のために越境してくる人も多く、それらの人々の生活基盤となっています。

2. 「免税工場」の存在:経済特区(SEZ)

ご推察の通り、あのエリアには「免税工場」が非常に多く存在します。

経済特区(SEZ)の集積: バヴェットには「マンハッタン経済特区」や「タイ・セン経済特区」など、複数の巨大な産業団地があります。

ベトナムのホーチミン港に近いため、カンボジアで製造してベトナムから輸出するというルートが非常に効率的です。

免税措置: 経済特区内の工場は、原材料の輸入関税や法人税の免除といった優遇措置を受けています。

主な生産品: 自転車(カンボジアは世界有数の自転車輸出拠点です)、衣類、靴、電子部品、タイヤなどが製造されており、数万人規模のカンボジア人ワーカーが周辺から通っています。

3. なぜ「中間地帯」がこれほど広いのか

通常、国境の「ノーマンズランド(無人地帯)」は狭いものですが、バヴェットの場合は「国境そのものが町になっている」という特殊な構造をしています。

カジノ特区としての発展: カンボジア政府がベトナムからの集客を狙い、国境ギリギリの場所にカジノ建設を許可したため、本来「何もないはずの場所」に巨大なエンターテインメント施設と居住区が先にできてしまいました。

独自の経済圏: あのエリアは「バヴェット市」という行政区画の一部ですが、実質的にはベトナムとカンボジアのどちらの文化も混ざり合った、国境特有の独立した経済圏として機能しています。

納得しました。調べてよかった。Googleさん、今回の旅行、何から何まで大変おせわになりました。

*それからね。あとで気づいたのですが、最近話題になっている特殊詐欺、「カンボジア南東部バベットで昨年11月、特殊詐欺に関わったとして、日本人13人が現地当局に拘束された。」なんてのがありましたっけ。まさにここではないですか。危うく誤認逮捕されるところだったよ。


ベトナム入国

入国ゲート(左の写真)を通りベトナムに入ると大渋滞、遅れに遅れ、市内到着予定16:45なのに2時間くらい遅れそう。帰国便は23:55なので余裕は十分ありますが、市内でゆっくりする時間はなさそう。それどころか市内から空港までも渋滞しそう。地図を見たらこのバスは空港のそば通りそうだったので、頼んで比較的近いところでおろしてもらいました。





帰国便はほぼ予定通りに出発、翌日8時ごろ、無事に成田に降り立つことが出来ました。

今回、マイナーな場所ばかり行きましたが、なかなか良い旅でした。このブログをかき終えたら、またどこか行きたくなってしまいました。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。