2026/04/13

パキスタンの桃源郷フンザへのツアーに参加(その3 フンザ・カリマバード)

(4~6日目) 

1日目の深夜、パキスタンの首都イスラマバード入り、2日目、3日目とカラコルムハイウ
ェーをひたすら北上、3日目の夕刻、やっとめざすフンザの中心地カリマバードに到着しました。

来た甲斐があった、花は満開、雪を抱いた遠くの山々も美しい、空気も綺麗ないかにも桃源郷です。

カリマバードの宿に3泊し、ここを起点に、カリマバード村やアルチット村を散策、上部フンザ

この間、バルチット城、この地で遭難した日本人の登山家長谷川恒夫氏の遺志で建てられたハセガワスクール、ワヒ族の集落などを訪れる予定です。

フンザについて

ほとんど資料の丸写しですが、一応、フンザについて。

人口約5万人、ここの人々は、イラン系の移住民が中心で、紀元前4世紀のアレクサンダー大王遠征軍の血も混ざっているといわれています。13世紀ごろからこの地を統治してきたのが「フンザ藩王国」で、戦後パキスタンがイギリスから独立した後も1974年まで統治を認められ、藩王一族は現在もある程度の影響力を保っており、また、ここの住民は選挙権がないかわりに納税義務を免ぜられているのだそうです。パキスタンは人口の95%以上がイスラム教でその9割前後がスンニ派ですが、ここはシーア派の分流イスマイル派が主流です。

ちなみに、世界モスリム人口の85-90%がスンナ派、その残りがシーア派で、その8割が十二イマーム派でイランやイラクに多く、イスマイル派は更にその残りで1.5ー2千万人ほど、ここパキスタンやインド、アフガニスタン、タジキスタン、シリア、東アフリカにいるのだそうです。(シーア派の分流としてはほかにイエメンなどにいるザイド派、オマーンなどにいるイハード派などがあるとのこと。)

何か、シーア派ムスリムというと、イランやイラクのテロ集団を連想しますが、ここの人たちは温厚、戒律も緩いようで、アザーン(礼拝を呼びかける放送)もなく女性が一人で町を歩いていますし、ブルカ(目だけ出すやつ)を付けている人もほとんどみかけません。イスマイール派は非常に教育熱心で、女性の教育や社会進出も活発です。また、フンザではアガ・ハーン財団による開発支援・教育支援が充実しており、パキスタン国内でも教育水準や識字率が比較的高いことで知られているのだそうです。

杏やアーモンドが花盛り、遠くの山も見放題

本当にラッキー、ちょうど花盛りでした。収穫時期を平準化するため、いろいろな種類の杏を植えられているようで、蕾から散りかかったものまでいろいろ見ることができました。

色の白いリンゴやピンクの濃い桃は、入り口付近ではみたものの、ここカリマバードではあまりみかけませんでした。





これはアーモンド、花が大きいのが特徴です。右は多分リンゴ。ま、花を観賞する分には何でもよろしい。


雪を抱いた山々

やっぱりこの季節来てよかった、雪化粧していて、山好きでなくても目の保養。






右はレディーフィンガーというのだそうです。これだけ判った。

朝日に染まるとこんなになっちゃいます。右はラカポシ(7788m)(ホテルの屋上から)







バルチット城(Baltit Fort)

バルチット城(砦)を見学、チベットの影響をうけているそうですが、お城から見る山々もそれらしい。




髭のおじさんは30年働いているウルドウ語ガイド、ここの名物オジさんのようです。



右は天井の模様です。




付近の村々

村を散策、地元料理レストランで昼食。パキスタン滞在中の食事はおいしいのですがワンパターン、少し飽きるのですが、ここで出された「チャプショロ」がすごくおいしかった。マトンのミンチと玉ねぎ、唐辛子、芋などでつくるミートパイです。



左の泥団子、最初牛糞を乾かしているのかと思いましたが、模様のようで、ほかの場所でも塀などにみられました。右のポストはホテルのそばで見かけたもの、ここの人たち、古いものを大事につかっているようなので多分現役。


左はアルチット(ALTIT FORT)のきっぶ売り場でみかけた婦人。ツアーメンバーと写真に納まったりしてフレンドリー、穏やかな笑顔と服が素敵だったのでパチリ。ヒジャブ(スカーフ)も髪の毛全体を覆わず緩いモスリムならではです。右は将棋のようなゲーム、賭けているかはわかりませんが、多分....。


子供たち。それなりの悩みがあるようです。ここの子供たちは、観光客慣れしているのか、ほかの地域と異なりワラワラと集まってくることはあまりなかった。

アルチットの村には古い石造りの家が並んでいます。お年寄りがやさしい良い顔をしていたので、思わずパチリ。右は、このあたりの住居。縦横に入り組んでいます。干しきれない洗濯物は地べた置き。色鮮やかです。

 

そうした穴倉のような家の一つで、刺繍を追っていました。ツアー参加者のひとりが小さな敷物を買っていましたが、なかなか美しい模様でした。

靴を脱いであがるのですが、床には毛でできた敷物がしきつめられています。

家の中には野ヤギのはく製をよくみかけます。捕まえるのは大変なので、武勇自慢のようです。右のように、宗教指導者と思しき写真が飾られています。偶像崇拝は許されているみたいです。

ハセガワメモリアルスクール

登山家長谷川恒夫氏が、パートナーの星野清隆氏とともに1991年にウルタルⅡ峰を登山中、二人とも雪崩にあい、43歳で亡くなりました。生前奥様に残した遺言により、仲間たちの応援もあり彼の愛したフンザ、カリマバードの村に学校を寄付しました。校庭からは(ウルタルではないと思いますが)雪山が臨め、素晴らしい場所に建っています。校長先生の案内で中をみせていただきました。見学者を積極的に受け入れているみたいで、生徒さん学生さんたちも、普段通りにふるまっていました。

男女共学ですが、女性が多い。男性は力仕事があるのと、イスラマバードなど遠くで学べるという事情と、女性を通じて次世代を育てるという考え方があるためだそうです。

日本語を学ぶクラスもありました。パソコンを学ぶクラスもありましたが、かわいそうに少し設備が古そうでした。



実は、見学中、アクシデントがありました。

ほんの瞬間ですが、グラッと来たのです。全く地震のない国ではなく、年に1度程度はあるようです。訓練が行き届いているのか、みんな動揺せずに落ち着いて校庭に避難しました。焦ったのは地震慣れしているはずの私、外国の建物南下信用できませんから。

上フンザへ

カラコルムハイウェーをどんどん上がっていきます。静けさを増してきます。

右はパス―氷河です。





途中、Attabad湖という、人っ子一人いない、静かな湖がありました。2010年のがけ崩れで20名が死亡、カラコルムハイウェーが19キロにわたって埋まり、2015年までの間上フンザまでの交通が途絶、25千人が孤立したという大事故がありました。その時、同時にフンザ川がせき止められでできたのがこの湖です。、




フンザ川にはところどころ歩行者用のつり橋がかけられていますが、観光用とおぼしき有料のつり橋が設けられており、折角ですのでわたってみました。

つり橋の傍らのお土産屋さんで売られていた「フンザ帽」です。





たっぷり景色を堪能しました。

翌日は、往路をそのまま戻り、イスラマバードの宿に向かいます。道路工事の予定とにらみあわせて4:30出発です。滞在中は好天に恵まれましたが、翌日は久しぶりの雨だそうです。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。