2026/07/11

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その2)ブルガリア

今回の旅程は、ブルガリアからスタートします。

羽田空港21:45発のターキッシュエアラインズで出発、イスタンブール着は翌日の6:05、時差6時間ありますので13時間20分の長時間フライトです。ここで7:30発のターキッシュエアラインズ便で乗り継いで8:45にソフィア着。1時間ちょっとのチョイ乗りなのに、軽食がでたのには驚きました。


ブルガリア共和国について

人口694万人、一人あたりGDP(PPPベース=購買力平価ベースの実勢)34千ドル 共和制、首都ソフィア。民族構成はブルガリア人が85%、トルコ人が10%弱、ロマ人が数%、公用語はブルガリア語で、キリル文字が使われます。宗教はキリスト教が7割(ブルガリア正教会、カトリック、プロテスタントなど)、イスラム教が1割。通貨はユーロ (€)です。

ブルガリアというとヨーグルトを連想してしまいますが、国土の3分の1を山岳地帯が占め地中海性気候で、意外にも産業は商業が盛んで、農業は鉱工業更に下のようです。

この国(地域)の簡単な歴史

・古代、最も古い文化の一つは、紀元前6,500年頃のカラノヴォ文化、その後、紀元前6世紀から3世紀にかけて、古代トラキア人、ペルシャ人、ケルト人、マケドニア人の戦場となっていたようです。
・中世、681年に第一次ブルガリア帝国が成立し、バルカン半島の大部分を支配する強国として栄えました。
・14~19世紀は、オスマン帝国に征服され、約500年間支配を受けました。
・近代、1878年に自治公国となり、1908年に完全独立を達成しました。
・現代、第二次世界大戦後はソ連支配下の社会主義国となり、1989年の民主化を経て、2004年にNATO、2007年にEUへ加盟しました。

幾多の勢力の「交差点」で、いろいろな民族の精力争いに翻弄されてきたようです。

早速市内見物

朝の8時頃着ですが、長時間フライトのあとなので一旦ホテルで一休み、なんて優雅な旅行ではありません。洗面は空港ですませ、早速市内観光にスタートです。

今回全行程をご一緒するトイレ付き大型バスに乗車。ツアー客25人+添乗員、ガイド、運転手、合計28人の大人数ですが、この日の座席指定では2人席を独り占め、バックパックを隣に置くことが出来て楽ちん。


お天気もよく、東欧って言うから、やや暗いイメージをもっていましたが、緑も多く、由緒ありそうな建物に混じって近代的なビルもありいい感じ。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

最初に入ったのが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、ブルガリア正教の教会です。1904年から工事が始まり1912年に完成しました。




立って祈るので、椅子などがなく、なかは広々としています。
ろうそくを捧げる人がいましたが、正教会では、神に祈る際には、イコンの前にロウソクを灯すという伝統があるのだそうです。ガラス越しにアイコンにキスする人が見られました。コロナが流行っていた時はどうしていたんでしょうね。

周辺を散策

下、左のライオンは、大聖堂の前にあったもの。関係者ではないようですが、ライオンはブルガリアの国章だそうです。

右は、旧王宮、国立美術館です。

左は、奇蹟者聖ニコライ・ロシア教会、右は考古学博物館

大統領官邸ではちょうど、衛兵交替をやっていました。


聖ゲオルゲ教会は、大統領官邸の直ぐ側、というか中庭のようなところにありました。

ソフィア最古の聖堂、後期アンティークの赤レンガ造りの円形建築です。4世紀初頭にローマ浴場、あすいは円形殿堂として建設されたと思われ、その後教会となったのだそうです。撮影禁止なので、写真はありませんがフレスコ画があり考古学者は少なくとも5層の異なる絵画層を発見しているそうです。



付近の様子

道路をわたる地下道にはいったのですが、ここも遺跡になっています。遺跡だらけです。


左は、地下鉄駅付近。右は聖ペトカ地下教会、地下が好き無わけでなく、埋まってしまったんでしょうね。





市内を見物したあと、バスに戻り、10キロほど離れたところにある、ボヤナ教会を目指します。








ボヤナ教会 

「世界遺産ナビpamon」によりますと、10世紀から11世紀、13世紀、19世紀という3つの異なる時代に増築された建物で構成されていますが、この絵画は、ビザンチン様式を継承しつつも、独特の表現力と生命力に満ち、調和のとれたプロポーションで描かれており、東ヨーロッパの中世芸術において、最も完全かつ完璧な保存状態を誇る建造物の一つ、東欧中世芸術の最高峰だとのことです。

とても静かなところに佇んでいました。内部への入場は、8人、8分づつという厳しいルールがあり、中ではガイドさんが説明してくれていました。


内部は撮影禁止なので、フレスコ画の写真はこのサイトから借用しました。


リラへ

昼食を摂ったあとリラに向かいます。考えてみれば、早朝にソフィアに入ってから、初めての食事、ショプスサラダ、ムサカ、ヨーグルトという、この地ならではのメニューでした。

ショプスサラダは、ブルガリアを中心とするバルカン半島で広く愛されている伝統的な夏野菜のサラダ、ムサカはひき肉と角切りのじゃがいも、タマネギを炒めてオーブンで焼き、仕上げにヨーグルトと卵のソースをかけてこんがりと焼き上げた伝統的な家庭料理。いずれも美味しく、これから先、これに似たものが度々でてきます。




リラまでは100キロほど離れており、暫くバス旅です。


リラ修道院

ユネスコ世界遺産です。「世界遺産ナビpamonによりますと10世紀に正教会によって列聖された隠者、イワン・リルスキー(リラのイワン)によって建立され、ブルガリア正教の最重要な修道院です。地震で全壊したり、火事で焼失したりしていますが、1834年から1862年にかけて再建され、その建築様式は、ブルガリア・ルネサンス(18~19世紀)の典型的な例とされているそうです。

隠者が建てたというように、少し離れた場所にありました。

遠くの山にはうっすら雪が残っていました。右の写真は居住部、往時には300人ほどの修道僧が住んでいたそうですが、今では7人だけだそうです。




このあと、国境を越えて235キロほど離れたキタマケドニアのスコピエに向かいます。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その1)概略

2026年6月、パッケージツアーでバルカン7カ国を巡りました。クラブツーリズム主催のツア
ーで10日間の駆け足旅行です。

思い立った経緯

ヨーロッパ、アジアの主要な国は、ある程度訪問しているのですが、バルカン半島周辺は未経験、気候も良さそうだし物価も欧州ほど高くなさそう、まだ元気なうちに行ってみるかといういい加減、根拠薄弱なのが動機。治安も悪くはなさそうなので当初、路線バスをメインにした個人旅行でと思っていたのですが、どうも移動が大変そう、面倒くさくなっていたときに、クラブツーリズムの「ターキッシュエアラインズ利用こだわりのバルカン半島7カ国10日間」というのをみつけたので、これに便乗することにしました。

トルコのイスタンブール経由空路ブルガリアのソフアからスタート、セルビアのベオグラードからイスタンブール経由帰国するのですが、この間、何しろ陸路国境越えが7回(うち重複1回)で以下の各都市を巡るって言うんですから、忙しい忙しい。

主な訪問地と世界遺産

◯ ソフィア、リラ(ブルガリア) 
   ボヤナ教会、リラの僧院(リラ修道院)
◯ スコピエ、オフリド(北マケドニア)
   オフリド地域の自然・文化
◯ プリシュティナ、デチャニ、プリズレン(コソボ) 
   中世建築物群(グラチャニツア修道院、デチャニ修道院、リェヴィシャ生神女教会)
◯ ティラナ(アルバニア)
   (オフリド地域、北マケドニアと共通)
◯ コトル(モンテネグロ)
   コトルの自然と文化歴史地域
◯ モスタル、サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
   モスタル旧市街の古い橋の地区
◯ ベオグラード(セルビア)
   (コソボの中世建築物群←彼らはコソボの独立をみとめていないため)

正直、世界遺産にさほどの関心もありませんが、何か、すごいところを沢山巡ります。

地域の歴史

これらの国々は、地理的に隣接していながら、それぞれ非常に濃密で異なる歴史を持っています。中世の王国時代、東ローマ帝国(ビサンツ帝国)、オスマン帝国の長きにわたる支配、そして20世紀のユーゴスラビア連邦の興亡や共産主義時代を経て、現在の姿へとつながっています。一括りには出来ませんが、総じてこの間、数々の戦乱、殺戮、迫害、民族移動を繰り返しており、今でも国内に複数の民族対立を内包しているようです。

我が国ってほぼ単一民族、アイヌの強制同化などはともかくとして他民族の侵略は受けていません。先の大戦で、非人道的な空襲を受けたり原爆落とされたり、あるいは沖縄の人たちが辛酸なめたりしていますが、長い歴史から見ればほんの少しの間。占領されていたのも、1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書調印・敗戦の日から1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条約発効までの6年半だけで、その間も概ねうまくやり過ごしています。そりゃ平和ボケにもなろうというもの。そうした自分から見ると、表面的にはうかがい知れませんが、これらの国の人々は根底で伺い知れないものをもっているのかも知れません。

次号(その2~その8)予告

次回以降、国ごとにお伝えしていきます。
パッケージツアーなので独自性はないし、有名観光地の説明などはガイドブックをご参照いただくということで、スナップ写真のほか、主に個人的なメモと少し斜めの角度からの感想を記録してまいります。

読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

2026/04/15

パキスタンの桃源郷フンザへのツアーに参加(その4 イスラマバード、タキシラ)

(6日目、7日目)

早朝4:30発でフンザを離れ、一路イスラマバードを目指します。来た道と同じで、途中、チラスで1泊するのも同じです。イスラマバードの宿についたは、7日目の深夜22時。途中泊まったチラスでは4:30出発ですから、途中休憩時間や待ち時間いれて17時間半の長い行程でした。 

ちなみに往きは、イスラマバード6時出発、20:30チラス着で14時間30分 チラス発8:30 カリマバード15:30着で7時間 合計21時間30分、復路はフンザ・カリマバード発9:00 チラス18:00着で9時間 チラス4:30 発、イスラマバード 22:00で17時間30分で合計所要時間26時間30分、休憩時間や待機時間も含めてではありますが、運転手さん本当にお疲れ様でした。

沿道の様子などは(その2 カラコルムハイゥエー)をご参照ください。

(8日目)

デコトラや面白い自動車たち

ここでは、道中、あるいはイスラマバード到着後に出会った車たちについて触れておきましょう。

日本ではあまり目にしなくなったデコトラですが、ここでは路上などで、よく見かけます。下の写真のようにコテコテのはともかく、多くのトラックは多かれ少なかれお化粧しています。



デコトラのおこりは、昔のラクダ。通商路でラクダを提供するのを商売にしていたひとたちが、ラクダを飾り立てて、客の目を引くと同時に、元気のないラクダなどの弱点を隠す目的で飾り立てたのが起源だそうです。









右は、我々を運んでくれたバス、トヨタキャラバンのフロントガラスですが、Masha Allahとは、神の思し召し、神のみ心のままに、転じて「神のご加護を」といった意味で、多くの車に書かれています。「交通安全」といったところでしょうか、いえ、もしかしたら商売繁盛も込められている?

あと、多くの車が、黒い布を後ろ両側にぶら下げています。厄除けのおまじないのようです。




左の車、赤いエンブレムはレクサス。こんなレクサスがあったと、後ろに回ってみたらカローラフィルダーと書いてありました。右の奴、日本の中古車で日本語そのまま残しているのは、アジア各国でよく見かけます。バスなんかでは行き先表示版まで、其の儘だったりして、要は日本の中古車=高性能という印。でもこいつは、ちょっと違いますね。





在日パキスタン人といえば中古車業なんだそうです

在日パキスタン人は3万人弱おられます。中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジル、ネパール、インドネシアなど(戦前の移民という歴史的経緯のあるブラジルを除き)アジア勢が上位をしめていますが、その中では少数派。ただ、他の外国人グループと比較して「起業家(個人事業主)」の割合が高いのが特徴で、ITエンジニアや企業の経営・管理職も多いのですが、多くを占めるのは中古車・中古部品の貿易業だそうです。中古車オークションでの買い付け、解体、輸出などを手掛け、販路はパキスタンだけでなく、ロシアやUEA、アフリカ諸国など手広くやっているのだそうです。一つの理由は同じ右ハンドルであること、もうひとつは、1970〜80年代、パキスタン政府が在外自国民に対し、帰国時に車を持ち帰ることを奨励する制度を設けていたためと言われます。富山県射水市周辺は「イミズスタン」と呼ばれるほどパキスタン人コミュニティが定着しており、日本の物流や中古車流通において欠かせない存在となっているのだそうです。

以上は帰宅してからAI(Gemini)で調べた情報ですが、パキスタン人、侮れません。

世界遺産タキシラ

イスラマバードの郊外30キロほどの場所に、ガンダーラ最大の仏教遺跡タキシラがあります。都城址シルカップ、ジョウリアン僧院址、博物館を見物しました。

駆け足でまわりましたが、実はすごいところなんだそうです。

シルクロードの要衝に位置し、仏教寺院やイスラム教のモスクなどを含む先史時代からイスラム期までの多様な遺構が残る遺跡群で、アジアとヨーロッパの文明が融合した過程を示す重要な記録となっています。

特に以下4つの居住地跡が、インド亜大陸の都市発展と外部文化との交流を物語っています。
・サライカラ:新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の居住の痕跡が残されている。
・ビール:紀元前6世紀にアケメネス朝が築いたとされるタキシラの「都市」としては最古のもので、石壁や家屋の基礎、街路などに都市化の遺構が残されている。紀元前326年にアアレクサンダー大王が凱旋入城したことでも有名。
・シルカップ:紀元前180年頃にギリシャ人によって築かれた都市で、碁盤目状の都市に配置された家屋や仏塔、寺院などにはヘレニズム時代のヨーロッパ建築の影響が強く見られる。
・シルスーク:クシャーナ朝が築いた、中央アジア様式の影響が見られる都市。不規則な長方形の切石積みの城壁と丸みを帯びた堡塁が残っている。

これら1世紀から5世紀に全盛期を迎えた遺跡群は、アジアとヨーロッパの文明が融合した過程を示す重要な記録となっています。

(以上、「世界遺産ナビ」(筆者:達川 恭之氏)をもとに要約しました。)

どれが何なのか、重要性がよくわからないままに、以下、ひたすら写真を張り付けます。

グランドトランクロード(王の道、大幹道)

バングラデッシュのチッタゴンからアフガニスタンのカブールに至る南アジア最古最長の幹線道路、王の道ともいわれいる由緒ある道路です。なぜタイ航空が説明の看板(青い奴)を出していました。石畳の道がそう?何があるってもんじゃなく、あ、そう、でおしまい。







ジョウリラン僧院

紀元前後からクシャーナ王朝時代(2〜5世紀頃)に繁栄した僧院跡だそうです。
小高い山の上にあり、階段を247段も登りました。付近に軍事施設があるそうで、警官が同行するというものものしさです。もしかして、核施設?




厳重に2重の網で覆われたケージの中に入っていきます。
















247段の階段を上がってきただけに、景色は抜群でした。




シルカップ

紀元前2世紀ごろの都市の遺跡で、仏教寺院、仏塔、お店の跡などがあります。











タキシラ博物館

1928年イギリス領インド時代に建てられたものです。ストゥーパの台座、ガンダーラ仏、道具類などが展示されています。




金色の展示物はブッダの遺骨、付近のストゥーパから発見されたもの。右の容器の中に納まっているごく小さなものです。







右の装身具をつけた妖艶な女性はだれかわかりませんが、当時の女性の姿だそうです。





イスラマバードのスーパーやお店でお土産の買い出し

最後にスーパーマーケットに連れて行ってもらいました。高級スーパーなんでしょうけれど、なかなかの品ぞろえ、少なくともお金持ちは豊かな消費生活を楽しんでいるようです。













私はというと、このスーパーで、スパイスなどを購入、別途フンザで買い求めた、アプリコット、杏子の種、ドライマルベリー、手造りのマルベリー酒などもあり、帰りの荷物はパンパンでした。

 

お土産屋さんや宝石商がならんでいるエリアですが、整然としていてきれいです。




そんなわけで、23時20分発のバンコック行きタイエアー便にて、帰国の途につきました。途中バンコックでの乗り継ぎを経て、翌日の15:55に成田空港に帰着しました。2日がかりでの往復で実質フンザ滞在は行程の半分ほどではありましたが、中身の濃い、よいツアーでした。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。