2026/07/12

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その3)北マケドニア


バルカン巡りの初日はブルガリアのソフィアから始まり、早朝についたので市内観光後、リラの僧院をみて、早速次の目的地、キタマケドニアに向かいました。最初の宿も北マケドニアのスコビエです。

尚、今回のツアーでは、一旦お隣のコソボ共和国に移動後、再びこの国に戻ってくるという日程です。陸続きならではの機動性です。

北マケドニア共和国について

人口183万人、一人あたりGDP(PPPベース)17千ドル 共和制、首都スコピエ。住民はマケドニア人が58%、アルバニア人が24.2%、トルコ人が3.8%、ロマ人が2.7%、セルビア人が1.8%、その他が2.3%、話される言葉は、マケドニア語(公用語)が68%、アルバニア語が25%、トルコ語が3%、セルビア・クロアチア語が2%、その他が2%、宗教は正教会が70%、イスラム教が29%、その他が1%です。通貨はマケドニア・デナール(MKD)です。

バルカン半島の中央に位置し、欧州とアジア、北アフリカの中継地点でもあり、国土の大部分が山地の内陸国。地中海性気候と高山性気候の中間にあり、ヴァルダル川の渓谷部は地中海性気候に近く、夏季には最高気温が40度に達することもあるそうです。

この国(地域)の簡単な歴史

古代マケドニア王国の地ですが、その後はローマ、ビザンツ、ブルガリア、セルビア、オスマン帝国と支配者が目まぐるしく変わりました。自称マケドニア人は5世紀から7世紀ごろにこの地に移り住んだスラヴ人の子孫であり、スラヴ系のマケドニア語を話します。ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はないそうです。

・古代マケドニア王国に近い地域ですが、現在の国家とは直接の連続性はありません。その後、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国の支配を受けました。

・第二次世界大戦後はユーゴスラビアの構成共和国となりました。

・1991年にユーゴスラビアから独立しましたが、国名をめぐって同じ古代マケドニアの版図にあったギリシャと長年対立、2019年に国名を「北マケドニア共和国」に改称し和解、2020年にNATOへ加盟、EU加盟を目指しています。

陸路の国境手続きが大変

ブルガリアのリラから235キロ、陸路北マケドニアにはいったわけですが、国境の出国手続きが大揉め。と言って不審な物が見つかったとか、トラブルがあったとかではなく、ブルガリア側の出国審査の事務が超絶劣悪。

指紋測定機器の上に右手の4本指をのせるのですが、これがなかなか反応しません。この指紋チェックがうまくいかず、何回もやり直しさせられます。添乗員さんから、手の乾燥対策で額の汗と油を手につけろとの指導があり、一同試みますが、若い人も含め9割方、不合格で写真確認など余計な手続きをすることになりました。

二十数名いたので、すっかり手間取ってしまいました。入国の時も写真撮影や指紋採取を何回もやり直されるなど、揉めた人が多かったのですが、どこの国の作ったシステムを浸かっているんですかね、一同のストレスは高まり、中には、オレもうブルガリアのヨーグルトくわねえ、などと怒り出す人もいたほどです。ちなみに、私は一発合格、変な優越感に浸ることができ、今でもブルガリアヨーグルトを愛用しています。

40時間ぶりのシャワー&ベッド

スコピエ到着は既に21時でホテルに直行。出発地のブルガリア時間では22時です。羽田を出発してから丸一日+時差7時間、家を出てから羽田出発までの時間を含めると2日ぶりのシャワー、着替えです。天気も景色もよく、旅の興奮もあって元気ではありますが、流石にホッとしました。シャワーのお湯が出ないというトラブルもありましたが、久々のベッドは快適。

マケドニア広場と石の橋

北マケドニアでは、スコピエを観光後、一旦隣国のコソボに行ったあと帰ってきてオフリドを訪問するというスケジュールですが、まずはホテルと午前中観光だけの短い滞在です。

マケドニア広場といわれて訪れたのはアレクサンダー大王像があるだけのただの広場でしたが、右の写真の左隅に写っている考古学博物館や、国立劇場(左の写真)など付近の建物が美しい。



アレキサンダーさんもですが、ここいらのワンコは、貫禄があります。(右の写真


なにか、やたらとオブジェを飾るのが好きなようです。

上の写真、右の生きているオブジェ?のむこうにあるのがStone Bridgeで、マケドニア広場から続いています。なんとも素っ気ない名称ですが、15世紀のオスマン帝国時代に建設された街のシンボルです。






右の写真は、マザー・テレサ生家跡、数十メートル離れたところには記念館があります。コソボにも彼女にまつわる施設があるなど、一帯から尊敬を集め、民族が入り混じるこの地での共通のシンボルになっているのかもしれません。


上の写真、マザー・テレサ記念館に見後にチラッと写っているのは、聖コムスタンチンアンドヘレナ教会だそうで、直接関係ないようですが、なかなか綺麗でした。

ここにも地震があった

旧駅舎があったので入口のところだけチラッと覗いてみました。旧ユーゴスラビア時代の1963年におこったマグニチュード6.1の大震災を記念するスコピエ地震記念館でした。ごくまれに地震があるようで、耐性がないから、大災害になるようです。ちなみに、このあとの都市再建計画策定の国際コンペに丹下健三のチームが、駅やオフィスが入る複合施設「シティーゲート」と高層住宅群の「シティーウォール」を市中心部に建設する計画を提案し、最優秀の1等に選ばれ、災害復旧に貢献しています。



マケドニア広場周辺を観光したあと、90キロほどはなれた隣国コソボの首都、プリシュティナにむけてまた国境を越えます。今度は、出国側と入国側の双方を代表して?係員が乗ってきて、一人ひとりのパスポートをチェックするだけの簡単なものでした。

北マケドニア再訪、ちょっとした個人的な奇蹟

コソボ観光後、また北マケドニアに戻ってきました。同じ国境を通りましたが、訪問地はリゾート地のオフリドです。

国境を越えたあと、法律で義務付けられている運転手の休憩を兼ねてガソリンスタンドに寄ったのですが、その隣に見覚えのある建物がある、名前を見たら、最初に泊まったホテルで
した。
実は、ホテルを退出する際、迂闊にも、変換ブラグを置き忘れてきていました。充電プラグとコンセントをつなぐ小さな部品で、コンセントが凹んだ形になっているために、見落としたものです。ダメ元でホテルのフロントに行ったら、何と、フロントで預かってくれていました。下手な英語で伝えたらその場で引き出しから出してくれました。数百円のものですし、予備をもっていたのではありますが、何とラッキー。些細なことですが、旅って、ちょっとしたトラブルが味をつける、プチトラブルが招いた幸せです。

オフリドのホテル、エレベーターが驚き

再び北マケドニアに戻り、リゾート地、オフリド湖畔に行きます。到着は19時頃、日本より緯度が北なのでまだ明るいのですが、まずはホテルにチェックイン。きれいなプールもある素敵なホテルなのですが、なぜかエレベーターが2人乗りで1基しかない。仕方ないから、3rdフロアー(4階)まで、荷物持って歩いて登りました。部屋数も沢山あるし、立派なホテルなのに意味不明、運動や環境のため?
しかも、おもしろいことに、到着した階で、手で開く、そうするともう一つある扉が自動で開くという、なんとも理解しにくい構造。メーカーなど解りませんでしたが、手動のは経験ありますが、こんなの初めてです。

GoogleレンズとAIで調べたら、外扉が手動の開き戸(スウィングドア)で、ヨーロッパの古い建物や特定の時期に建てられた施設によくみられるセミオートマチックタイプで、シンドラー社、あるいはKone社などが作っていたようです。目的はドアを収納するスペースの節約のようです。


ぐっすり寝て翌日、この日も良い天気で、湖が美しい。水の透明度が半端じゃありません。

オフリド湖クルージング

朝食後、遊覧船でミニクルーズ。素晴らしい景色です。遠くの山の上の方にある教会など、まさかこの跡、歩いていくとは思いませんでした。



オフリド街歩き

下船後、お土産屋さんやショップが並んでいる小道を歩いていきます。

下左の建物、House of Robevci Family と書かれていて、富豪の屋敷跡なんだそうですが、それより隣りにあったワインバーに心を惹かれました。


だんだん上り坂になっていくのですが、途中の景色も楽しい。


聖ソフィア教会です。11世紀のものだそうです。


紀元前200年頃につくられたヘレニズム様式の古代劇場跡、今でも使われているそうです。そばに、ハネムーンドライブの車が停まっていました。地味だけど微笑ましい。




一番先のところに、聖ヨハネ・カネオ教会がありました。
「13世紀に創建されたマケドニア正教会の教会です。切り立った崖からオフリド湖を見下ろす絶景スポットとして世界中の旅行者に愛されており、ビザンツ様式にアルメニア建築の影響を受けた十字型の美しいフォルムが特徴です。」とのことです。確かにね。


でも教会は、はや食傷気味。景色が素晴らしかった。教会脇に桑の一種(マルベリー)の大木があって、実を摘んだら美味しかった。





湖伝いに街に戻りました。淡水真珠?が売られています。湖畔のレストランで昼食、涼しげに見えますが、日向は直射日光で暑い暑い。



昼食のニジマスが美味しかった。肉ばかりで、久しく魚を食べていませんでした。魚は右向きですが、こっち流?
デザートは、サワーチェリーソースをパイ生地に絡めたタルト。






昼食後、140キロ離れたアルバニアのティラナに向かいます。また長距離移動、私は乗り物好きなのでむしろ楽しいのですが、酔いやすい人にとっては地獄のツアーですね。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

2026/07/11

パッケージツアーでバルカン7カ国を巡った(その2)ブルガリア

今回の旅程は、ブルガリアからスタートします。

羽田空港21:45発のターキッシュエアラインズで出発、イスタンブール着は翌日の6:05、時差6時間ありますので13時間20分の長時間フライトです。ここで7:30発のターキッシュエアラインズ便で乗り継いで8:45にソフィア着。1時間ちょっとのチョイ乗りなのに、軽食がでたのには驚きました。


ブルガリア共和国について

人口694万人、一人あたりGDP(PPPベース=購買力平価ベースの実勢)34千ドル 共和制、首都ソフィア。民族構成はブルガリア人が85%、トルコ人が10%弱、ロマ人が数%、公用語はブルガリア語で、キリル文字が使われます。宗教はキリスト教が7割(ブルガリア正教会、カトリック、プロテスタントなど)、イスラム教が1割。通貨はユーロ (€)です。

ブルガリアというとヨーグルトを連想してしまいますが、国土の3分の1を山岳地帯が占め地中海性気候で、意外にも産業は商業が盛んで、農業は鉱工業更に下のようです。

この国(地域)の簡単な歴史

・古代、最も古い文化の一つは、紀元前6,500年頃のカラノヴォ文化、その後、紀元前6世紀から3世紀にかけて、古代トラキア人、ペルシャ人、ケルト人、マケドニア人の戦場となっていたようです。
・中世、681年に第一次ブルガリア帝国が成立し、バルカン半島の大部分を支配する強国として栄えました。
・14~19世紀は、オスマン帝国に征服され、約500年間支配を受けました。
・近代、1878年に自治公国となり、1908年に完全独立を達成しました。
・現代、第二次世界大戦後はソ連支配下の社会主義国となり、1989年の民主化を経て、2004年にNATO、2007年にEUへ加盟しました。

幾多の勢力の「交差点」で、いろいろな民族の精力争いに翻弄されてきたようです。

早速市内見物

朝の8時頃着ですが、長時間フライトのあとなので一旦ホテルで一休み、なんて優雅な旅行ではありません。洗面は空港ですませ、早速市内観光にスタートです。

今回全行程をご一緒するトイレ付き大型バスに乗車。ツアー客25人+添乗員、ガイド、運転手、合計28人の大人数ですが、この日の座席指定では2人席を独り占め、バックパックを隣に置くことが出来て楽ちん。


お天気もよく、東欧って言うから、やや暗いイメージをもっていましたが、緑も多く、由緒ありそうな建物に混じって近代的なビルもありいい感じ。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

最初に入ったのが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、ブルガリア正教の教会です。1904年から工事が始まり1912年に完成しました。




立って祈るので、椅子などがなく、なかは広々としています。
ろうそくを捧げる人がいましたが、正教会では、神に祈る際には、イコンの前にロウソクを灯すという伝統があるのだそうです。ガラス越しにアイコンにキスする人が見られました。コロナが流行っていた時はどうしていたんでしょうね。

周辺を散策

下、左のライオンは、大聖堂の前にあったもの。関係者ではないようですが、ライオンはブルガリアの国章だそうです。

右は、旧王宮、国立美術館です。

左は、奇蹟者聖ニコライ・ロシア教会、右は考古学博物館

大統領官邸ではちょうど、衛兵交替をやっていました。


聖ゲオルゲ教会は、大統領官邸の直ぐ側、というか中庭のようなところにありました。

ソフィア最古の聖堂、後期アンティークの赤レンガ造りの円形建築です。4世紀初頭にローマ浴場、あすいは円形殿堂として建設されたと思われ、その後教会となったのだそうです。撮影禁止なので、写真はありませんがフレスコ画があり考古学者は少なくとも5層の異なる絵画層を発見しているそうです。



付近の様子

道路をわたる地下道にはいったのですが、ここも遺跡になっています。遺跡だらけです。


左は、地下鉄駅付近。右は聖ペトカ地下教会、地下が好き無わけでなく、埋まってしまったんでしょうね。





市内を見物したあと、バスに戻り、10キロほど離れたところにある、ボヤナ教会を目指します。








ボヤナ教会 

「世界遺産ナビpamon」によりますと、10世紀から11世紀、13世紀、19世紀という3つの異なる時代に増築された建物で構成されていますが、この絵画は、ビザンチン様式を継承しつつも、独特の表現力と生命力に満ち、調和のとれたプロポーションで描かれており、東ヨーロッパの中世芸術において、最も完全かつ完璧な保存状態を誇る建造物の一つ、東欧中世芸術の最高峰だとのことです。

とても静かなところに佇んでいました。内部への入場は、8人、8分づつという厳しいルールがあり、中ではガイドさんが説明してくれていました。


内部は撮影禁止なので、フレスコ画の写真はこのサイトから借用しました。


リラへ

昼食を摂ったあとリラに向かいます。考えてみれば、早朝にソフィアに入ってから、初めての食事、ショプスサラダ、ムサカ、ヨーグルトという、この地ならではのメニューでした。

ショプスサラダは、ブルガリアを中心とするバルカン半島で広く愛されている伝統的な夏野菜のサラダ、ムサカはひき肉と角切りのじゃがいも、タマネギを炒めてオーブンで焼き、仕上げにヨーグルトと卵のソースをかけてこんがりと焼き上げた伝統的な家庭料理。いずれも美味しく、これから先、これに似たものが度々でてきます。




リラまでは100キロほど離れており、暫くバス旅です。


リラ修道院

ユネスコ世界遺産です。「世界遺産ナビpamonによりますと10世紀に正教会によって列聖された隠者、イワン・リルスキー(リラのイワン)によって建立され、ブルガリア正教の最重要な修道院です。地震で全壊したり、火事で焼失したりしていますが、1834年から1862年にかけて再建され、その建築様式は、ブルガリア・ルネサンス(18~19世紀)の典型的な例とされているそうです。

隠者が建てたというように、少し離れた場所にありました。

遠くの山にはうっすら雪が残っていました。右の写真は居住部、往時には300人ほどの修道僧が住んでいたそうですが、今では7人だけだそうです。




このあと、国境を越えて235キロほど離れたキタマケドニアのスコピエに向かいます。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。