メコンデルタ、クチトンネル見物
12日成田を発ち、ホーチミン入りをしたのですが、前のブログにもかきましたように到着、入国手続きが遅れ、ホテル到着が17:30と遅くなってしまいました。
13日は、朝7:30出発の1日ツアーに申し込んであります。「ホーチミン発:クチの地下道&メコンデルタ 1日ツアー」 所要時間10時間、ランチ付き 金額8066円 というやつです。
ツアー参加者は欧州の人ばかり
旅行社は近所だったので直接行くこととし、近所の路上でバインミー(フランスパンに野菜や肉を挟んだもの、絶品)を購入、食べながら待ちます。最初、自分とアイルランド人カップルと3人だけで、こりゃ楽勝と思っていましたが、あちこちのホテルを回り、結局12人と満員。色の白い黒いはありましたが、みんな欧州からのツアー客でした。(ほかも含め、アメリカ人の観光客には会わなかった。やっぱり来にくい?) ちなみに、2018年新型コロナ前の国別旅行者数は、中国、韓国、日本、台湾、アメリカ、ロシアの順だそうです。ミトでメコンデルタの一端に触れる
ホーチミンから、2時間あまり、メコン川に面したミトまで走りました。途中、障がい者の工房を訪問。戦争や枯葉剤で障害を受けた人が器用に工芸品を作っていました。説明している女性が健常者だったのがちょっと興ざめ、もしかしたら障がい者を食い物にしている観光事業? そういうひねくれた見方はやめましょう。さすがに偽物ではないでしょうし、50年経ってもこういう支援活動を継続することは大事です。ここでは、ココナッツなどで作った飴や、ココナッツ酒をコブラに漬け込んだリキュールなどを試食試飲しましたが味がなかった、滋養強壮に効いたかもしれませんが。
このあと、メコン川で観光船に乗船、島にわたって養蜂所を訪れ、そのあと小さなボートで水路を走りました。
平和な今、クチトンネルを見物
さて、クチトンネルですが、ホーチミンの北西70キロのところにあるクチを中心に掘られた総延長250kmにわたる地下トンネル。ベトナム戦争時代(1960ー1975、うちアメリカ参戦は1964-1973)、当時の南ベトナム解放戦線のメンバーがアメリカ軍の空爆に抗してこの地下トンネルの中に潜み、生活し、ゲリラ活動をくりひろげたとのことです。
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中に入らせてくれます。(実際は拡幅してある) |
射撃実体験。的は米兵の像でなく普通の的でした。
日程やりくりして戦争証跡博物館
ベトナム戦争つながりでもうひとつ戦争証跡博物館に行きたかったのですが、あてにしていた初日、閉館時間を過ぎていて外側からしか見られませんでした。2日目(13日)はクチツアーで早朝から終日ふさがっており、3日目は郊外のバスターミナル9時発のバスでカントーに行く必要があります。一旦は諦めたのですが、突如のひらめき。7:30から開館なので、駆け足で見て、タクシーでバス停にいけば間に合うのでは。ということで、14日、6時起きして近所の店で食事。朝早い街ですが、さすがにこの時間開いている店は少ない。麺の種類と、肉の種類を指定すると、香草のたっぷりはいった美味しい汁麺が。2泊したホテルを7時にチェックアウト、荷物を背負って約20分歩き、博物館開館と同時に滑り込みました。
各国の報道などの記録 |
戦時の写真と、爆弾の残骸? |
それにしても、日本ではこういう施設あるのですかね。広島、長崎、沖縄、あるいは靖国神社、東京大空襲・戦災資料センター(これは民間のボランティアがやっているごく小規模のもの) など部分的なものがあるようですが、加害者としての側面も含め、前の戦争の全体像を客観的に示す、国営の施設がほしいです。右翼や左翼がうるさくて収拾がつかないのだろうけど、右や左の旦那様、ぜひ正しい歴史と民族の誇りを後世に語り継ぎましょうよ。
ついでに間抜けな失敗談をご披露(愚痴)
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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