モンテネグロについて (国名には「共和国」がつかない)
人口62万人、一人あたりGDP(PPPベース)15千ドル 共和制、首都ポドゴリツァ。民族構成はモンテネグロ人が45%、セルビア人が29%、ボシュニャク人が9%、アルバニア人が5%、他が12%、第一公用語はモンテネグロ語、他に4言語(アルバニア語、セルビア語、ボスニア語、クロアチア語)が公用語に指定されています。宗教は、74%が正教会、イスラム教が17.74%
バルカン半島西部のカルスト地形の一部となっているセルビア、コソボ、およびその国境に沿った高い山脈から、幅わずか1.5〜6km(1〜4マイル)の狭い沿岸平野にまで及んでおり、沿岸部は温暖な地中海性気候、内陸部は大陸性・山岳性気候を示します。主要産業は農業,製造業,観光業、農業ではタバコや穀物、製造業では鉄鋼やアルミ加工が主流。通貨はユーロ (€)(EUR)。
この国(地域)の簡単な歴史
「黒い山」を意味する名の通り険しい山岳地帯で、オスマン帝国がバルカンを席巻する中でも、実質的な独立を維持し続けてきました。
・古くからイリュリア人が住んでいましたが、6世紀後半頃にスラブ人が住むようになり、10世紀までにドゥクリャ公国という半独立の国を形成、東ローマ帝国にも貢ぎ物を送っていました。
・後セルビア王国に大公と呼ばれるステファン・ネマニャが現れ、ドゥクリャを支配しましたが、山岳地帯を拠点にオスマン帝国への抵抗を続け、モンテネグロ主教領として独立を維持してきました。1852年に世俗的な公国にし、モンテネグロ公国となり、その後、オスマン帝国との衝突、クリミア戦争、などを経て1905年にモンテネグロ王国となります
・1918年にセルビアに併合、セルビア、スロベニア、クロアチアに取り込まれ、後にユーゴスラビア王国を形成します。
・第二次世界大戦中にユーゴスラビアは解体され、イタリア王国の占領下に置かれるも、1944年、ユーゴスラビアに復帰。1990年代のユーゴ解体時もセルビアと新ユーゴ連邦を構成しました。
・2006年には住民投票で55.4パーセントという僅差でセルビアとの国家連合から平和的に分離独立。現在は独立国家としてEU加盟を目指しています。
ティラナからコトルまでの車窓風景
ヨーロッパらしい風景、アドリア海が見えてきます。
コトルロープウェーで湾内を一望
美味しかったもの
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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