2025/01/27

北欧バルト8カ国一人旅(その11)ラトヴィア・ リガ (2024年9月)

(12日目)

今回の一人旅は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドと北欧4国を駆け足で廻り、エストニア、ラトヴィア、リトアニアとバルト3国、次いでポーランドまで足を伸ばすという欲張り旅行です。

この日、エストニアのタリンからバスで陸路4時間25分、ラトヴィアのリガにはいりました。夜の到着なので、2泊ほど連泊して市内を見物します。


洞窟のようなおしゃれな食堂で朝食

この前の(その10)でご紹介しましたように、受付がレトロな感じでしたが、予想通り全部がレトロ。朝食付きだったのですが、食堂へのアプローチも石つくりのトンネルをとおっていきます。







朝食はビュッフェ形式、なかなか充実していて美味しかった。市場の様子でもわかるように食材が豊かなんでしょうね。この宿は2泊朝食付き98€(約16,000円)と、コペンハーゲンの1泊110€より安い。
まずは幸先良いスタートです。




ひたすら街歩き、さながら建築博物館

この街も交通機関が発達、バスやトロリーバス、トラムが市内を縦横に走り回っています。ただ、名所が次々とあるので、もっぱら歩いてまわりました。

この街も古い建築物の宝庫、タリンで嫌って言うほどかわいい建物を見てきたので、正直食傷気味。みんな同じに見えてきます。

建築に詳しい人がみれば、それぞれの国の特徴があるのでしょうけれど。




右の写真、右手がブラックヘッドの会館、未婚の貿易商人の友愛会の集まる会館だったのだそうで、彫刻でかざられています。
左の写真は、特に名のない建物と思いますが、きれいです。こんなのがゴロゴロ転がっている街です。


左は市庁舎、右とその下2枚は聖ペテロ教会。(右下の手前は別人?)





聖ヨハネ教会。素知らぬ顔をしていますが、生きた人間を塗り込めると災除けになるということで、修道士が塗り込められたのだそうです。壁の上の方に2箇所、口を開いた修道士の顔がありますが、塗り込められた人なのかは、本人黙して語りませんでした。



どれもおしゃれです。


ご存知、グリム童話にあるブレーメンの音楽隊。下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ、ドイツのブレーメン市庁舎にあるのが本物で、姉妹都市のリガにもつくられたのだそうです。ロバの足を撫でると願い事がかなうそうで、観光客が試みていましたが、私の背丈ではとどきませんでした。

その下は猫の家、なぜか有名。昔は反対方向を向いていたのだけど、なんちゃらカンチャラでこうなった、なんて伝説をつくりあげたからでしょう。でも面白い。

左は三人兄弟、3つの建物が兄弟のように寄り添っていて中世の姿をそのまま保っているそうです。それだけのこと。








スウェーデン門(右)、火薬庫(左)もありました。


左はリガ大聖堂、右遠くに見えるのはロシア正教会
 

























左はアレクサンドル・ネフスキー教会、右は聖ヤコブ教会。不貞な御婦人が通ると鐘がなるとかの噂があるそうですが、私は男だし不貞は働いていません。
教会だらけ。窮屈な時代だったと見るのは偏見ですか。それにしても飽きがきます。

でも、中世の建築家たちが腕を競ったんでしょうね、随所に立派な建物がみられます。
国立歌劇場なんかも、立派な建物です。右は地方裁判所。

左は博物館、右はラトビア科学アカデミー  
下のは、由緒あるものかと思ったら左はホテル、右はJacob's barracksという、カフェやブティックの並ぶビルのようです。その下はフランス大使館だそうです。(いずれもGoogle Lens調べ) 
こういう壮大な建物ばっかりみたあと、小さな路地(右下)にはいるとホッとしますね。



リガ城

市街地のはずれにリーガ城がありました。大統領官邸になっているとのことです。従って中には入れず周辺をウロウロ。



角の家(KGB本部)

左の立派な建物は、角の家と称して、1940年にロシアの再占領をうけてから秘密警察チェッカー(後のKGB)の本部に使われていた、誰もが近寄らない建物だったそうです。
街の中心部からかなり歩いて、かなり苦労のすえに探し出したのですが、閉館中のようで中には入れませんでした。




ゲットー・ホロコースト博物館

この国はロシアだけでなくドイツにも翻弄されます。
「リガゲットー及びラトビアホロコースト博物館」にもいきました。市街地から駅を挟んで反対側の、目立たない場所にありました。
ボランティアにより運営されており入場料は無料、寄付歓迎。日本語のパンフレットもいただけます。

貨車(レプリカ)はベルリンリガ片道切符と称され大量のユダヤ人を運んだ貨車内に説明資料が展示されています。その奥の方にはゲットー・ハウスと称する二階建て木造家屋があり、当時の家具や日常品が置かれています。野外には掲示板が並び、いろんな説明が書かれています。日本語はないし沢山ありすぎて、とてもじゃないけれど読めません。なんとなく、そうかそうか。そして建物の中には、各種文書、写真、コレクションなどが展示されています。
正直言って、量が多すぎて、やや雑然としていてよほど興味がないと全部は見る気にはなりません。
でも、雰囲気が伝わりました。行って良かった。






ラトヴィア占領博物館と軍事博物館

バルト諸国はそれこそ十字軍の大昔から第二次世界大戦に至るまで、周辺の強国により翻弄されてきています。
最近では、第二次世界大戦以来、ソ連、ドイツに占領され戦後もソ連の影響下におかれ辛酸をなめてき、そして今、ウクライナ戦争の影に怯えています。
占領時代の博物館、ついで近所にあった軍事博物館にも足を運びました。

足を運んだといいますか、探すのに苦労しました。マイナーな地域のためか買った地球の歩き方は2019-20年版、その中の地図の場所に行ったら移転したとの表示、そこの案内に従って行ったら、入口がわかりにくく、間違えて裁判所に入ってしまったり、大苦労しました。当時のラトヴィアの人の苦労の1億分の1も苦労していませんが。

以下、両方の博物館の記録がごちゃごちゃになっています。



正直、説明文を読む気力なく、ただ展示物を見て歩いただけですが、印象的だったのは右上のNATOのポスター。
周辺の強国たちに翻弄されたあげく、やっと開放されNATOに加盟、良かった良かった、安心した、そういう気持ちが伝わります。
反戦=平和がしみついている日本人的には、軍事同盟に加盟=平和とは、異論ありと言ったところでしょうけれど、これが世界標準なのでしょう。

下の左の地図は、国内のゲットー(ユダヤ人強制居住区)の所在地を示すもの。狭い国内に何箇所もあります。右の サハリンに勤務したラトヴィア人医師が日本人抑留者から贈られた寄せ書きの日の丸なんだそうです。感謝の気持ちで贈られたのだと思いますが、武運長久というのは面白いですね。


駅そばの市場

市場好きの私、もちろん行きました。
市街地から駅を挟んで反対側にあり、ドームがいくつも並ぶ立派な屋内&屋外市場です。
タリンでもそうだったのですがこのあたり、駅のそばに設けるのが定番、貨物列車はあまり見かけなかったので、輸送の関係というより、公共交通機関が発達していて人々は電車やバスで往来するためでしょうか。それとも、旧市街地は古い建物で満杯、少し離れた場所に鉄道や市場を設けたからなのでしょうか。

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南の国の産物かと思いきや、スイカやメロンも豊富に並んでいます。もちろん海産物はいろいろな種類のものが並んでいます。

ジャム、ピクルス、はちみつ、オイル漬け(多分)の魚缶詰などが並びます。


写真ではわかりにくいですが、葉っぱを束ねたもの。そう、ヴィヒタと言ってサウナで使います。
右側はいかにも寒い国らしいコート、でもいかにも派手ですね。


リガには2泊しましたが、夜到着、そして3日目の朝、出発で実質丸1日でしたが、一日歩き回り多くの場所を訪問しました。
戦争絡みの博物館が印象的でしたが、建物の類は正直、もう飽きた感があります。それぞれ歴史があるのでしょうけれど、それをわかる教養のなさゆえ、いかんともしがたい。

翌日は朝から、次の目的地、リトアニアのビリニュスに向かうのですが、通常の路線バスではなく、十字架の丘などの名所をまわりながら行くツアーバスです。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。











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