名所旧跡といった特段の観光ポイントがあるわけではないですが、のんびりと南国情緒を楽しめました。
別のインド
カーニャクマリから西側、アラビア海に沿って250キロ、6時間ほどかけてアレッピ、ついで更に60キロ先にあるコーチンに北上していきます。
沿道を見ていると、IT企業らしききれいな高層建物をみかけます。
チェンナイでの印象も、デリー近郊と比べてゴミの散乱は比較的少ないと思っていました。少ないと言っても、インドだからという目でみての「少ない」で、ゴミは散らかり放題、少なく見えるのは大都市デリーとの規模の違いかもしれません。
それから、空港タクシーの勧誘はじめ、物売りたちががおとなしい感じがしました。南でおおらかなのでしょうか。豊かなのでしょうか。贔屓目かもしれませんが。
そして、このあたりに来ると、バスの車窓から見る限りでは街もゴミが更に少なくきれい。物売りがまとわりつくこともなく、安心して街を歩ける感じです。
ゴミが少ないのは大企業が多く地方自治体が裕福で行政能力がたかいから? 民度が高いから?
前日までいたチェンナイ、マドゥライ、カーニャクマリはタミル・ナードゥ州、今日訪問する地区はケーララ州、そして今回の旅行では行きませんが、両州の北に接するのがITで有名なベンガルールを州都とするカルナータ州。週によって個性も大きく異なるようです。
そのタミル・ナードゥ州では、英語でもないヒンディー文字でもなく、シンガポールなどでも見られるタミール文字(நன்றி)、そして英語も通じにくく、デリー出身のガイドさんも現地での会話に難渋していました。ちなみに「こんにちわ」はヒンディー語でनमस्तेナマステ、タミル語ではவணக்கம்ヴァナッカム、「ありがとう」はそれぞれधन्यवादダーニャバード、நன்றிナンリ)。
その点、ケーララ州にはいってからは、街の看板も英語が多く、なんとなくしっくり来る感じがしました。
あと、沿道で面白いものを見ました。道路を建設中なのですが、鉄筋の色が緑色なんです。ネットで調べたら防腐処理などで、別に特別のものではないようで、私が知らないだけで専門の方には日本にもあるよ、とおっしゃるかもしれませんが。
アレッピの水郷地帯へ
アレッピではボートハウスという宿泊施設つきのクルーザーに乗りました。右の写真の場所から乗るのですが、2階建てでバストイレ付冷房完備の寝室もあってなかなか立派なものです。
熱帯、淡水というと蚊の襲来を心配していたのですが、電子蚊取りもあり杞憂でした。
この日はバスに乗っているばかりで汗はかいておらず、シャワーの温水が出るか疑わしかったのでシャワーはパスしました。ベッドはなかなか快適でした。(ベッドの写真、とり散らかしていてすみません。上に広げているのはトラベルシーツ(インナーシェラフ)です。トコジラミ対策のためたとえ小綺麗なホテルでも使うようにしています。)
川岸からは水田が広がります。
船内で食事をとるのですが、なかなかのご馳走でした。
狭い船内でなまじ手の内がわかってしまうので、あの兄ちゃんたちが作るのかと思ってしまいますが、コックが操船しているのだと気持ちを切り替えておいしくいただきました。
クルージングと言っても、支流の狭い所に分け入るのではなく、船着き場から1時間ほど走って、川岸に停泊、1夜をすごしてまた帰って来るだけのもの。その点はちょっと期待外れでした。
それでも川風を受けながらノンビリとした気持ちの良い時間を過ごせました。
聖フランシス教会
翌朝は、市内見物をしたあと、60キロほど先のコーチに向かい、そこから帰国の途につきます。
コーチ市内の聖フランシス教会に寄りました。16世紀前半に造られたインド最古の教会、ポルトかガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマの墓地ということで、墓標が置かれていました。
飾りっ気のない気持ちのよい教会でした。
バスコ・ダ・ガマは1498年、インドのカリカットに到達し、ヨーロッパ人として初めて喜望峰を回ってインド航路を開拓、ここコーチンで亡くなりました。
そのあと、ヨーロッパ列強によるアジア侵略がはじまるわけですが。
チャイニーズフィッシングネット
でも、こういう風景、なにか癒やされます。
川だったのか海だったのか、舐めて見なかったのでわかりません。下の写真、白い服の人が岸辺でなにやらやっていると思ったら、兄弟?3人あつまって、何か流していました。花?まさか遺骨?
なんでここが観光地?とも思いますが、土産物屋さんがならんでいました。左は何やら粉をねって細長くのばしたもの。右は、売られているとうもろこしがやけに太かったので思わずパチリ。でも写真にとったらなんてこたぁない。
ついでながら、途中で出されたバナナがメチャクチャ太くて驚きました。インドの底力?
インドでは美しくサリーをきこなした女性方をいたるところで見かけますが、若い娘さんたちは、サリー着用率が低いようです。
ウロウロしていたら、インド人の団体から声をかけられました。カメラ構えているので、シャッター押してくれというのかと思ったらそうではなく、一緒に写真に収まって欲しいと。
この経験、昨年、デリー起点にバラナシ、ブッダガヤなどを旅行したときにもありました。今回のツアー仲間たちも随所でこのような求めを受けていました。
今更外人が珍しいわけでもないでしょうに、インド人って外人と写るの本当に好きです。
客人信仰?まさか、悪霊を持っていってくれるとかいうおまじないでないでしょうね。
スパイス店
家族がカレー好きなので、お土産はこれが一番。
ガラムマサラ、カルダモンティー、クローブ、シナモンスティック、丁字、黒こしょう、ほかスパイスセット(写真の、Spice Marketと書いてあるもの)などしこたま買い込んでしまいました。 (写真には、あとでスーパーで買ったものも入っています。)
たくさん買ったから負けろと言ったのですが、負けられない、女性の就業支援団体がやっているので、とのこと。ほんとかどうか知りませんが、そう言われると、定価販売でも納得できます。
途中、写真のシーフードレストランに寄りました。これまでも、カレーに中に干し魚、煮魚がはいっていることはありましたが、久々の海鮮、インド料理には違いなくカレーではありますが満足感がありました。
カタカリダンスショー
ちょっと怪しげな小屋に入っていくと、大きな舞台があって、太ったオヤジがしきりに化粧しています。化粧の段階から見せるもので、演者はこのデブオヤジ、もうひとりのダンサー、ドラマーの3人。ツアーだからメニューの一つでお付き合いするかくらいの気持ちだったのですが、なかなか見応えがありました。このデブオヤジ、表情豊かでなかなかの演者。
カタカリとはケーララ週に伝わる古典舞踊で、Wikipediaから引用すると、「原色を基調としたカラフルな衣装に身を包み、特徴的な化粧を施し、古代インドの叙事詩である『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』をテーマとした物語を踊る。セリフは無く、指の動きや目の動きで内容を表現しており、日本の歌舞伎との類似点も言及されている。歌舞伎俳優の尾上菊之助は、2017年に訪印してカタカリを観劇した際に、歌舞伎のルーツはカタカリにあったのではないかと思うほど共通する点が多いと指摘している。」とのこと。
オヤジの演ずる、悲しい顔、起こった顔、希望に満ちた顔、などなどの表情が実に豊か、良いものを見させてもらいました。
このあとスーパーマーケットに寄りました。
旅行先のスーパーに行くの大好きで、機会あれば寄るようにしています。
珍しいと思ったのはタマゴが大量に売られており、しかもビニールシートでカバーされていること。こういうスタイル初めてみました。
あと、お決まりのスパイス、多種類の穀物類、その他各種の調味料、インスタント食品、子どものお菓子など。
ここでは、スパイスセットとギー(バターオイル)を買ってしまいました。
先のスパイス店でのものなど、戦利品の数々です。
帰国、意外なものが機内持ち込み不可
このあと空港に行き、シンガポール航空でシンガポール経由帰国するのですが、ガイドさんから注意事項のアナウンスがあります。
機内持ち込み不可のものとして、え、と思ったものが2つあって、1つは、ガムテープ。非常用グッズのひとつとしていつも持ち歩いていたのですが、今までダメ出し食らったことありません。WEBで調べたらたしかに禁止とありました。テープで凶器をくみたてたり口を塞ぐ凶行をする輩がいるからでしょう。でも、没収されても良い、駄目もと。
もう一つは深刻。スパイス類が駄目だとのこと。まさかと思って調べたらたしかに書いてある、インドでは駄目とのこと。インドだけの特殊事情のようです。確かに唐辛子粉なんか優に凶器になりますね。
ということで、いつもは預けをしないのですが、今回は帰国便で万一ロストバッゲージになってもダメージは少ないので、もちこまずリュックごと預け荷物にしました。
シンガポールのトランジットなんか広い空間をウロチョロさせられたので、身軽で助かりました。胡椒買ったおかげです。
インドでの食事は心配でしたが、意外とおいしく、お腹もこわさず旅行を堪能できました。帰宅は深夜になりましたが、そこはパッケージツアーのありがたさでさほど疲れもせず、無事帰宅、1,2日で元気回復することができました。 現役時代苦手だったインド、また行ってもいいかも。
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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