セルビアについて
人口691万人、一人あたりGDP(PPPベース)26千ドル 共和制、首都ベオグラード。かつて存在したユーゴスラビアの地理的にも政治的にも中央に位置しています。セルビア人が82.86%、マジャル人が3.91%、ボシュニャク人が1.82%、ロマが1.44%、ユーゴスラビア人(正式に言えば民族ではない)が1.08%、クロアチア人が0.94%、モンテネグロ人が0.92%、アルバニア人が0.82%、公用語はセルビア語。ヴォイヴォディナではルーマニア語、パンノニア・ルシン語、ハンガリー語、スロバキア語、クロアチア語も公用語。コソボ(セルビアはコソボの独立を認めていない)ではアルバニア語も公用語。セルビア人のほとんどは正教会の信者、マジャル人やクロアチア人の多くはカトリック、ボシュニャク人やアルバニア人はイスラム教が多い。通貨はセルビア・ディナール(RSD)
北半分はカルパチア盆地の平野で、南部は山地、四季がはっきりとした大陸性気候で年間を通じて寒暖差が大きい。主要産業は、豊富な労働力やヨーロッパと中東を結ぶ地理的優位性を背景に製造業(自動車、電気機械)と、豊かな自然を活かした農業、および鉱業です
この国(地域)の簡単な歴史
6世紀 、東ローマ帝国の領域であったバルカン半島西部にセルビア人が居住を始め、12世紀はじめにセルビア王国が成立。第一次世界大戦後はユーゴスラビア王国の中心となり、第二次世界大戦後も社会主義ユーゴスラビアの中心共和国でした。
・14世紀にはセルビア帝国として広大な領土を支配、バルカンの覇者となりましたが、1389年の「コソボの戦い」でオスマン帝国に敗北し、400年にあわたり支配下に入ります。
・1817年にセルビア公国が成立し、オスマン帝国から自治権を獲得、その後1878年に正式に独立、その後、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件(1914年)を経て、1918年には「ユーゴスラビア王国」の核となりました。
・第二次世界大戦後はチトー大統領のもとで「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の主要構成国となりました。
・1990年代の冷戦終結とともに連邦は解体。1991年にはクロアチア、スロベニア、マケドニア共和国(現・北マケドニア共和国)がユーゴスラビアから独立、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立、2003年にセルビア・モンテネグロとなり、2006年にモンテネグロが独立したことで現在のセルビア共和国が成立しました。2008年に独立を宣言したコソボについては、現在も自国領とする立場を維持しています。コソボ紛争を巡っては、1999年の北大西洋条約機構による爆撃に晒されました。
ベオグラードまでの沿道風景
カレメグダン要塞
セルビア正教会
聖サヴァ大聖堂
クネズ・ミハイロヴァ通りを散策 |
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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