2025/11/13

ウズベキスタン・トルクメニスタン(その3 シャフリサーブス日帰りツアー)

シャフリサーブスへの日帰りツアー



シャフリサーブスはサマルカンドから峠を越えて90キロほど走ったところにあり、ティムール誕生の地だそうで、ティムール朝時代の建築が現存するためユネスコの世界遺産に指定されています。
折角だからということで、日帰りツアーに申し込みました。
朝9時にサマルカンドのホテルをたち、途中休憩を挟んで2時間ほどで到着、90分程度見物のあと16時頃にホテルに戻るという行程です。

シャフリサーブス自体は緑ゆたかな古都ですが、そこまでの道筋は沙漠といった感じ、途中、ちょっとした展望スポットで小休止しました。Teshiktoshというところで、右の写真に写っている奇岩が売りのようです。土色の景色の中に貯水池が見られました。目的地はあの山のむこうのようです。


アク・サライ宮殿跡

11時頃にシャフリサーブス到着、ここの目玉はアク・サライ宮殿跡。この宮殿は1380年に建設が始まり、彼が亡くなる直前の1404年に完成した夏の離宮です。
全体の配置図は左のとおりです。
ただしこの配置図、再開発前のもので、今は再開発され、図にあるバザールやら郵便局、警察といった施設はなく、全体が広い公園になっています。

北側の宮殿跡付近と南側のモスク付近との両方に出入口があるのですが、宮殿側から入場、運転手さんにはモスクそばで待機していただきました。本当はモスクの側から入場し、ティムール像を眺め、その背後にある宮殿跡を見て、広場の中を走っている無料電気自動に乗って元の場所に戻るというのが正しいコースのようです。



宮殿自体は16世紀、ティムール朝滅亡後にブハラ・ハン国のアブドゥッラー2世によって破壊されて、一部の壊れかけた門の遺構だけが残っています、アーチになっていて両側にミナレット(塔)がそびえていました。現在のアーチ跡は高さが38メートルと結構大きいですが、もともとは50メートルほどあったのだそうです。
500年以上も前のものなのに、青色のタイルが美しい。

宮殿の跡地一帯はティムールの立像を中心に広い公園になっています。





ティムール像はこのページ冒頭に示したとおりですが、タシケントのティムール像は馬に乗り、サマルカンドのティムール像は座っているのに対してこちらは直立不動という違いがあります。

このあたり、かっては先に挙げた地図にみられるように市場や住宅街などが広がっていたのだそうですが、今では商業施設やホテルがはいったきれいな建物になっています。何があるかと近づいたら、ホテルだったりしてがっかり。右の建物、何があるかと見ていたら右端にトイレの表示、やれ嬉やと開けようとしたら鍵がかかっていました。全体がトイレなわけないし、事務所棟? 観光地なのか高級ホテル街なのか、全体のコンセプトが不思議。変な再開発してくれなければバザールなんかもあってよかったのに。




シャハーンギル廟






ドルッティロヴァッド建築群といわれる一連の建物。中庭のコク・グンバス・モスクの入り口に向き合って、2つの廟が建っています。
建築群の中には、お土産物屋が並んでいました。




ジャハンギール廟を中心にドルッサオダット建築群があります。




峠の茶屋

ちょっと駆け足だったので、感想としては、サマルカンドから一日かけてはるばる来たのに宮殿跡以外たいして見るべきものがなかった。携行した「地球の歩き方」でも少ししかふれられておらず、まともな園内の地図を用意できていなかったので、どこが何なのか、よく理解できなかったのも敗因でした。

帰り道、途中の峠で、昼食をとりました。崖の淵に建っているレストランの3階か4階まで岩伝いにしつらえてある階段を上がって席につきました。名物のシャシリック(ケバブ)も美味しかったですが、何よりそこからの景色がよかった。
(階段の昇り降りで必死で階段の写真は撮り損じましたが、右の写真はそのレストランの地下室?での食事風景。床の上に座って食べるのが一般的のようです。)




(付録)サマルカンドで泊まった宿


サマルカンドには、民泊とゲストハウスの2泊しました。

最初、ホームステイしたのは、お世話になった旅行社SRP TRAVELを経営しておられる盛井佳菜さんのご家庭。JAICA(国際協力機構)で働いていた時知り合ったウズベキスタン人のご主人との家で、1980年代に中央アジアのユダヤ人が住んでいた家をリフォームしたものだそうです。宿泊施設以外にもいくつかの部屋がありご主人のご母堂、ご兄弟一家など10名近くがお住まいのようです。訪れた時は、子供たちが庭で遊んでいました。
右下は、日よけのターフと、子供用のプール。こういう生活感あるの好きです。





食堂を兼ねた多目的スペースの装飾、すごいです。19世紀頃から中央アジアのユダヤ人がこの地に移り住んで一帯をユダヤ人居住区となし、戦前は1万人弱ほどが暮らしていたのですが、その後ソ連からの独立後、他国に移っていったのだそうです。この部屋もユダヤ人居住時代のままだとか。
右の写真の食器なかなか素敵、こういう感じのもの、街でもうられていました。手作りのジャムが美味しかった。フルーツ王国です。



ベッドルームの装飾もド派手。トイレは日本直輸入のシャワレットでしたが。右下はオーナーの佳菜さんとネコちゃん。(顔写真はご了解済み)





これは、2泊目のゲストハウス。
安い宿なのに中庭があって、なかなかの風情。どこでもそうでしたが、建物の入口で靴をぬいで部屋に向かいます。通路には絨毯が敷き詰められていました。






前の(その2)で書きましたように、シャフリサーブスから帰ったあと、ウルグ・ベク天文台、ハフラシャブ博物館を見物、レギスタン広場を再訪、ライトアップを観て、上記の宿に戻りました。4日目の翌日は朝ゆっくりしたあと、列車でブハラに向かいます。



読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。


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