サマルカンドからブハラに移動
4日目の朝はゆっくり。11:55発の普通列車でブハラにむかい、14:10着。ここで連泊して、ゆっくり観光する予定。サマルカンド駅の電光掲示板は、特産のお皿がかざってあったりしてオシャレなのですが案内は劣悪、英語表記もほとんどなく観光地とは思えません。到着ホームは、アナウンスメント参照としか書かれていおらず、どこに行ってよいのやら。
スィトライ・マヒ・ホサ宮殿
ブハラ旧市街にあるホテルまで車で30分、駅で迎えの車が来るはずだったのですが、運転手が間違えたところに行っているなどトラブルがあり、出発が遅れたこともあり、ホテル到着は15時過ぎ。壁に貼られている織物「スザニ」、18世紀頃中央アジアではじまった手刺繍のものです。この地方特産で、ベッドカバーやテーブルクロス、タペストリーなどに至るところに使われ、お土産物屋さんなど沢山みかけます。
旧市街は見どころいっぱい
イスマーイール・サーマーニー廟
まず、イスマーイール・サーマーニー廟。中央アジアに現存する最古(9〜10世紀)のイスラム建築です。タイル装飾なしの見事なレンガ建築で世界遺産です。
チャシマ・アイユブ(「聖ヨブの泉」)
チャシマ・アイユブは、弘法大師ならぬヨブさんが杖で地面をたたいたら沙漠に水が湧いてきたという有り難いところです。もう日が暮れかかってきました。
左下は隣にあった建物、Memorial Complex of Imam Al-Bukhari とありました。博物館のようです。
中央市場
ボロハウズ・モスク
左の写真までが、ボロハウズ・モスク。
更に東にすすんだところに、アルク城があるのですが、その前にブハラタワーがありました。見晴らしが良いとのことですが、多分アルク城からの見晴らしが勝ると思うし、レストランなので、ここは外側からの写真だけ。
アルク城
18時近くになりだいぶ日暮れてきましたがもうひと頑張り。アルク城に登城。敷地の一部は未だに発掘中のようです。一帯はブハラの発祥の地で、正確な歴史は不明ですが、紀元前4世紀頃からあり、歴代の支配者により拠点としてつかわれてきました。その後、チンギス・ハーンの軍にも侵攻されるなど、破壊なども繰り返され、現存の建物は過去3世紀前に作られていますが、1920年のソビエト赤軍による爆撃でほぼ崩壊し、現在は石造りの部分が残るのみです。
カラーン・モスクとカラーン・ミナレット
近所にウルグベク・メドレセ、アブドゥルアジスハンメドレセがあり、中にお店などがありましたが、流石に遅くなったので、横目で見るだけにして、このあとまっすぐホテルに戻りました。途中にもお土産屋さんが沢山並んでいます。
![]() |
4日目は15時すぎからの観光なのに、主要なところは網羅した感じ。欲張りすぎてヘトヘトでした。
ラビハウズ
5日目は、ゆっくりと朝寝し、ラビハウズ中心に、散策、土産物漁りなどしました。
ラビハウズは、中央広場と池(ハウズ)を囲む歴史地区で観光の中心地。この広場には、16世紀から17世紀にかけて建てられた歴史的な建造物が建ち並んでいます。
右の建物、鳥の絵が描かれていますが、モスリムでは肖像が禁止なので、チャレンジングです。
| 以下、有名無名関係無しのスナップです。 |
右の写真、川の上に長い反物?を干していて鯉のぼりを思い出しました。
チョルミナルなど
更に東に1キロ余りいったところに、ミナールショッピングモールというのを地図で見つけ、行ってみました。表からは入れず裏手から入る不思議な構造、3階建てのきれいな建物ですがが子供関係ばかり。ほとんど客がはいっていませんでした。スーパーマーケットももう一つ魅力に乏しい品揃えでした。
帰り道、大通り沿いに、Fruits Premiumとかかれた店があったのでのぞいてみまたところ、なかはドライフルーツや缶詰、ジャムなどがところ狭しと並んでいました。さすがフルーツ大国、なかなか魅力的な店、買って帰れないのが残念。
途中の路地でのスナップです。住所表示がオシャレ。継ぎ足しの電柱、どうりで停電が多いわけです。
次の朝は早い。4:30に来る車で駅に向かい、寝台列車でヒヴァに向かう予定です。
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

0 件のコメント:
コメントを投稿