2026/03/14

バングラデシュは意外とよかった(その3 カントノゴル寺院とバハルプール仏教遺跡)

(3日目)

3日目は、ディナージプールからラジシャヒに向かいます。

ディナージプール周辺

カントノゴル寺(Kantanagar )

カンタジー寺(Kantajew)とも言うようで、ディナージプールから20キロほど離れた場所にある18世紀につくらたヒンデゥー教の寺院ですが、外壁一面にラーマーヤナをモチーフとしたテラコッタ彫刻が素晴らしい。このディナージプールはヒンドゥー教徒が40%もいるのだそうです。

入場料なし、ここに限らず、ちゃんと管理しているのか気になります。19世紀の大地震で一部崩壊しましたが、日本などの支援を受け復興したとのことです。




右は、復元図のレプリカのようです。





鳴り物入りの信者さん。右の写真は別の祠、これを拝んでいるのではありません。



裏手に廃墟となた寺がありました。なかなかのものですが、全く手をいれていないようです。右のはご神木というわけではないようですが、多分ベンガルボダイジュ。




付近の村

左、洗濯物の右後ろは多分家でなく、藁を家形に積み上げたもの。右の写真はディナージプールそばのバスターミナル。



立ち話している女性。右の何やらチラシをみている女性は目だけ出している点ではブルカのようですが、カラフル。この国、イスラム教でもゆるいと聞きますが、こんなブルカあり? 

王の家とお妃の池(Ranipukur)

王の家という名前の廃墟、入口らしい設備もないみたいだし、ただそこにある廃墟。建物にはいっていくと鉄骨で補強がしてあったりして、一応保存活動はされている模様。




ボロボロながら、結構広いし、よく見ると手の込んだ装飾もあり立派な建物です。






建物のそばにちょっとした池があり、水面までの階段がしつらえてあります。ヒンドゥー教で沐浴するガートとは異なるようで、女性たち(お妃?お妾?)が水浴びをしていたそうです。王様はもちろん、それを窓からみて、お相手を見繕っていたんでしょうね。

塀を隔てて、お隣に孤児院がありました。この国、福祉も頑張っている?




世界遺産の町、パハルプール(Paharpur)

インドとの国境、Hiliを目指して南下

南南東方面へ2時間ほど走って国境の町Hiliに行きます。

このあたりの特産はライチ、マンゴー、そしてコメ。いたるところに田植風景が見られます。

昔の日本のように、横一列に並んで植えている姿も見えたのですが、何せ時速70キロくらいで飛ばしている車からなので、写真を撮りそこないました。



わら束は堆肥やわら細工にせず、飼料として売られるようですね。


国境の町ヒリ

線路の向こうはインド、荷物を満載した巨大なトラックが次々来ます。
バングラデシュはアパレル産業の原材料をインドに依存しており、農産品を輸出するほかインド経由で第三国への輸出も行っているとのことで、貿易の8%が陸上輸送で行われているそうです。

ただ、JETROによりますと、2025年5月、インドがバングラデシュからの衣料品輸入は、ムンバイ、コルカタに限定し、陸上輸送は禁止、その他の食料品その他も、一部の税関施設の利用を禁止、バングラデシュは対抗措置として、糸の陸路輸入を禁止したそうです。

来たトラックは、コメか何か積んでまたインドに帰っていくはずですが、見られたのは来るものばかり。すれ違いはかなり困難、というか無理だと思われますが、一方通行ではなさそう。時間帯でわけているのでしょうか。

所で、この道路、なぜか舗装されていません。今まで通った道、工事中などを除きほぼ全部舗装されていたのに、交通量が多く産業の太いパイプであるはずなのに何故?逆ではないでしょうか。
ガイドさんの説明によると、重い車が走るので舗装はすぐ壊れてしまうからだとか。ガイドさんだって何でも知っているわけじゃないでしょうから、ホントかどうかわかりませんが、納得感あります。


バハルプ―ル(Paharpur)のソーマプラ・マハーヴィハーラ(大寺院跡)

バハルプールは、ダッカ、チッタゴン、これから行くクルナにつづき4番目の都市だそうですが、ここにあるソーマプラ僧院はユネスコ世界遺産にも登録されている、インド亜大陸最大級の仏教遺跡群で、8世紀後半から9世紀頃に建設された大乗仏教精舎の跡、かつては約1,000人の僧が生活していたそうです。









パハルプール博物館

左は全体像。
右の仏像ですが、AI(Gemini)に聞いたところ、「ソーマプラ・マハーヴィハーラ(大寺院跡)の遺構からは、パキスタン北西部を中心としたガンダーラ美術(インド・ヘレニズム彫刻)様式の影響を受けたストゥッコ(化粧漆喰)像が多数発見されています。パハールプルはガンダーラより数百年後の寺院ですが、ガンダーラ地方で確立された仏像製作の伝統的な様式が、時代を経て東方のベンガル地方(現在のバングラデシュ)にも伝わり、その後期のパーラ朝美術に影響を与えたと考えられています。」とのこと。美男におはします。


全体像です。



俄かスター気分

旅行社のサイトには、こう書いてありました。
「バングラデシュの学生の修学旅行にも人気のスポットなようで、外国人が珍しいのか、ひっきりなしに写真を求められます。」

そんな説明覚えておらず、そうとはつゆ知らず歩いていたら若いお嬢さんから声をかけられます。半信半疑で、(心の中で小躍りしながら、)聞いてみたら、写真に写ってくれとのこと。
こういうの、インドでも経験していたし、今回の旅行でも田舎のモスクで経験したので、あ、ここの人も写真に写るの好きだな、それにしても、白髪のジイサンと写って何が嬉しいんだろう。もしかして魂を抜かれる?いえ、そんな邪悪な顔はしておられません。
彼女のスマホで、一緒にポーズ。

そうすると、周りの人が次々と。ちょっと困りました。
左の写真は、父親から、娘と写ってくれとのご依頼。きれいな嗚べべ着た上品なかわいこちゃん、連れて帰りたかったのですが、機内持ち込み制限を超えそうなので断念しました。

ほかにも、青年たちが遠くから走ってきたので、ヤバいと目をそらしたけど、つかまって、同様のリクエスト。また、日本語勉強中だというのに、2人ほど声かけられました。親日なのか、外人がめずらしいのか。恥ずかしかったけど、私ごときで喜んでもらえてよかった。



ラジシャヒへ

Kusumba Masiidモスク

今夜の宿、ラジシャヒまで50キロほど南下、途中、少し横にそれてKusumba Masiidのモスクに寄りました。
16世紀にできたもの。モスクの隣にはちっとした湖があり、なかなかの美景、ワンコたちも、横になって鑑賞していました。
途中みかけた、子供たちを台車に山盛りした家族、ほほえましかった。





やがて、宿のあるラジシャヒ到着、なかなかにぎわっています。
今夜の宿も国立。やはりきれいにしています。今夜はほかのお客さんもおられるようで、朝食もビュッフェでした。




明日は早起きして、ラジシャヒのそばを流れるポッダ川、これすなわち、高名なガンジス川。ここでの日の出を鑑賞、シュンドルボン国立公園のクルーズをする予定です。

読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

バングラデシュは意外とよかった(その2 モハスターン仏教遺跡など)



(2日目)

2日目はダッカからボグラを経て、ディナージプールに向かいます。まず、ボグラ近郊にある最古の都市遺跡、モハスターン(Mahasthan)をめざします。

市内からボグラへ

街は意外と整然

ホテルはオールドダッカ付近だと思うのですが、道は広くてきれい、祝日でお休みだったせいかもしれませんが、拍子抜けするくらい静かでした。
ここがツアーの欠点なのですが、自分の足でゆっくり市内全域を歩き回る機会がなかったので、ホテル周りと車窓からの風景だけからの感想ですが、一部スラム的なごみごみしたところがあるだけで、思ったよりきれいでした。
ベトナムやカンボジア、インドといった国ばかり歩き回って感覚がマヒしているのは否めませんが、今回の旅行全体をとおして道路の整備状況もよく、とても「混沌」といったイメージから程遠かった。察するに、ひとつは、トゥクトゥク(ここではCNGと呼ぶ)やモトといわれる電動三輪車が主で、モータリゼーションがすすんでいないことと、もしかしたら外国の援助のせい?






発展途上国おなじみの電線の束。でもあまり見かけませんでした。
緑色がCNG(タイでいうところのトゥクトゥク、右に見えるのがオトといわれるものの一種、自転車をベースにしたものや、バイクを改造したものなどいくつかのパターンがあります。

全

どこに行っても、この手のお菓子類を並べて、またぶら下げている店が多い。野菜や肉は自給するか市場で買いますが、小腹が空いたときにつまんだり、子供のおやつにする袋菓子は、こういうところで買うのでしょう。





村の教会

途中、ガイドさんと運転手さんが、道を聞いたり何やら探し物。やがて村の中に入っていきます。わーい、村の中を見られるラッキー。

村の教会(モスク)です。横手にある水道で手足を清め、裸足になって入っていきます。ここのモスクは男のみ、女性方は自宅でお祈りするそうです。
モスクの前をうろうろしていると、好奇心いっぱいの子供たちが集まってきます。みんな可愛い。中には、大人も一緒に写真を撮ってくれなんて言ってくる、左の写真はそのひとつですが、兄弟?親子?、撮った写真を持ち帰られるわけでもないのに、何が嬉しいんだろう。(当人承諾なのでボカシは入れていません。) 豊かな村ではないと思いますが、人々の服装はこじんまりしています。



村の風景です。売れれているのは、牛の飼料用の草。




左は藁ボッチ、別な場所ですが、家と見まがうくらいの大きさで家形につみあげたのもいくつか見ました。これも飼料です。右で干しているは、牛が食べた結果の生産物。燃料にします。



モハスタン

モハスタンは8世紀から12世紀頃に栄華を誇ったパーラ王朝時代に建てられた仏教の都市遺跡。旅行社からもらった解説書によると、バイラギル・ビタ、ゴビンダ・ビタ、パラシュラム・コドル・パタル・ビタ、マン・カリル、クンダパレスなどが発掘されたとあります。

ゴクール・メド (バショゴールBehular Bashor Ghor – Gokul Medh)

まず、ゴクール・メド、修道僧が住んでいたと思われる172の部屋からなるとのことですが、上に上ることができます。6世紀ごろに仏教僧院が作られ、その後11世紀ごろにヒンドゥー寺院ができ、そして廃墟になっていたものを、ゴクルさんという人が、家を作るとき発見したのだそうです。
部屋には新婚夫婦が初夜を過ごすブライダルハウスとの伝説もあるとか。




マザールモスク

そばにあるモハスタンマザールモスク(Mohasthangarh Central Jame Masjid)に立ち寄り、
選挙に当選した人も来ていたようで、党のシンボルである稲ををつけた、高級車も停まっていました。


ポルシュラム宮殿跡と生命の井戸

さらに少し移動、Parchuram’s Palaceへ。





井戸の横には生命の井戸(Jiyat Kunda)と書かれた看板がありました。
18世紀ごろに作られ、ポルシュラム王が戦死した兵士を蘇生させようと作ったもので、敵軍により魔力を封じられたという伝説があるそうですが、ただの穴、下手するとゴミ捨て場の風情。
付近は人々の公園のようになっており、トマト畑があったり、のどかな場所です。





博物館(Mahasthan Rchewological Musiam)とゴビンダ・ビタ (Govinda Bhita)

モハスタン博物館は有料、よく手入れされた庭園の中にあり、仏像やテラコッタなどが展示されていました。でも、撮影禁止だし、素養がない私には、印象が薄く、ここで紹介できません。
ゴビンダ・ビダはカルタヤ川沿いにある寺院跡です。土塁が残っているだけで、ここものんびりした場所です。







街道風景


当日は、ボグラから160キロほど南下してディナージプールの国営ホテル泊。
最初の写真は、道路をあるいていた象。ほかでは見ませんでしたが、どうも、乗り物として使っているというより、恐喝の道具のようです。車の窓をたたいてお金をねだっています。断ったらどうなるかわかっているだろうな。

以下、途中のスナップです。



鉄道は広軌と狭軌が混在しているようです。線路はどこまでもまっすぐ伸びています。









日も暮れてきました。写真ではよくわかりませんが、真ん中左寄りはトラクター、ほかに人影がいつか見られます。農機の導入も徐々にすすんでいるようです。
うまく写真に撮れませんでしたが、横一列に並んで、田植をするよ光景もみられました。田植歌なんか歌いながらやっているのかな、通りすがりの車の中では聞かれませんが。


国営のホテルが全国にあるようです。昼食のレストラン利用含め、数か所お世話になりましたが、どこも綺麗にしています。外国の旅行者が多いとも思えませんし、庶民が旅をするには程遠い、商人宿としては立派すぎ、中産階級向けなんですかね。ほかの客の姿はみかけませんでした。





ホテルの庭には、モスクと手足を清める水場がありました。













復元図











道をゾウが。目的はお金の要求。断ったら怖いですもんね。








手作業で植えられた水田、苗がきれいに並んでいます。


やたらと幅の広い列車と普通の広軌が併存しているので、こんな線路になっています。

























読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

2026/03/12

バングラデシュは意外とよかった(その1 準備・出発)

混沌に惹かれて

バングラデシュに行ってきました。アジア最貧国で、街はインド以上にカオスという評判、バックパッカーたちがYoutubeに投稿しているのをみても、まさにカオス。でも妙な活気がありそうでしかも治安は良く親日といいます、無性に行きたくなってしまいました。

今回、交通手段の確保が難しそうだったので、現地旅行社や安い「募集型企画旅行」(パッケージツアー)を探したのですが、手ごろなものがみつからず、結局、ファイブスタークラブという旅行社にお世話になりました。ここは名前のとおり5人の旅行好きが立ち上げたニッチ専門?の旅行社で、ツアーと言っても、団体ではなく、一人旅+専属の日本語ガイドと運転手という贅沢なツアーになってしまいました。人件費の安い国ならではで、ちょっと気が引けたのですが、手間いらず、低リスク、非常に効率よく、有難かった。

バングラデッシュという国、全体の行程と主な観光地

もともと英領インド、その後、1947年に独立する際、ヒンドゥー教徒の多いインドと、スンナ派イスラム教徒の多いパキスタンに分かれ、そのパキスタンはインドを挟んで東西の飛び地国家として誕生、その後、1971年に西パキスタンが今のパキスタン、東パキスタンがバングラデッシュになったという歴史をもちます。スンナ派イスラム教徒が90%を占める国ですが、ヒンドゥー教徒も9%、その他も1%おり、比較的ゆるく共存しているようです。

148.5千㎢の国土に人口が1億7千万人ほどおり、人口密度が非常に高い(日本は378千㎢に1億2千万人)

グラミン銀行によるマイクロクレジットが有名で、創設者のムハマド・ユニス氏は貧困層救済の功績によりノーベル平和賞を受賞しています。

行程

上記の地図のように、

ダッカ → ボグラ → ディナージプール → バハルブール → ラジシャヒ → → プティア →  クルナ → モングラ港 → ダッカ → ショナルガオン →ダッカ とめぐります。

途中の観光地は

・パハルプール仏教遺跡 (ラジシャヒにある8世紀ごろに建設されたバングラデシュ最大の仏教遺跡)
・バゲルハット(クルナにある15世紀のレンガ造りモスク都市)
・シュンドルボン国立公園 (モングラ港から行く世界最大のマングローブ林)
の3つ。
このほか、
・モハスタン(ラジシャヒにある8世紀から12世紀頃に栄華を誇ったパーラ王朝時代に建てられた仏教の都市遺跡、バシュ・ビハール僧院、レンガ造りの城壁など遺跡が点在)
・ゴパーラ寺院(プティアにあり、屋根と外壁のテラコッタが特徴的)
・シヴァ寺院 (プティア にある)
・ゴビンダ寺院 (プティア にある)
・ショナルガオン(ダッカに都が移るまでベンガル地区の中心として栄えた古都)
・パナムノゴル(ダッカ郊外にありショナルガオンにありヒンドゥー教徒の豪邸が廃墟になって残っている)

以上結構盛沢山です。

日付

スケジュール・観光内容

宿泊地

1日目


 到着後、ホテルへ送迎。

ダッカ

 

 

2日目

ダッカ→ボグラ→モハスタン→ディナージプール。途中ジャムナ橋を通過。午後、モハスターンの仏教遺跡観光。

ディナージプール

 

3日目

早朝:カントノゴル寺院。午前:ディナージプール→バハルプール→ラジシャヒ。途中、世界遺産のバハルプール仏教遺跡観光。

ラジシャヒ

 

4日目

早朝:ガンジス河の日の出。午前:ラジシャヒ→プティア→クルナ。途中、プティア観光(ゴヴィンダ寺院等)。

クルナ

 

 

5日目

午前:クルナ→モングラ。世界遺産のシュンドルボン国立公園(マングローブ林)を1日クルーズ。終了後クルナへ。

クルナ

 

6日目

午前:世界遺産バゲルハット観光(イスラム建築群)。

観光終了後、ダッカへ。

ダッカ

 

7日目

午前:古都ショナルガオ観光。午後:ダッカ市内観光(ラールバーグフォート、国会議事堂)。深夜、空港へ。

機中泊

8日目

DAC 0:50ー(MH197)ー6:50KUL KUL9:30ー(MH070)-17:30NRT

-

(7日目のラールバーグフォート、国会議事堂は交通渋滞のため割愛)

事前準備

今回は、交通も宿も旅行社が手配してくれているので、事前準備は、ビザの取得と、旅行保険、eSIMの購入、パッキング、このくらいしかやることなく、楽勝。ただし、ビザは大変てこづりました。

ビザ取得に一苦労

旅行社に依頼すると1万円ということだし、パスポートを郵送するなど煩わしいので自分でとることにしました。自分のことは自分でやれと子供の頃親から教わっていますし、今、子供から出来ることは自分でやらないとボケるよと忠告されていますので。

早速、在日バングラデッシュ大使館のWEBサイト訪問。Home | Embassy of the People’s Republic of Bangladesh, Tokyo
ところが、大使館のWEBサイトでも、手続き部分は出てきません。Consular Serviceというボタンもあるのですが、クリックしても、先にすすみません。
電話したら、片言の日本語の方がでてきて、ネットを見ろとのご指示、途方にくれました。

あまり訪問者もいないと見えて、ブログなどでも紹介している記事にはヒットしません。
旅行社に問い合わせても、具体的な手続きは教えてくれません、自分の所にたのまなかったら意地悪しているのだとは思いませんが、多分、業者に任せているので、担当の人はご存じないのでしょう。

ネットで、ビザ申請で検索すると、「バングラデシュのビザ申請は、2024年11月以降、主にオンラインで申請書を作成し、VFS Globalにて手続きします。観光や商用で日本国籍の方は、空港到着時のアライバルビザ(VOA)も利用可能ですが、事前申請が推奨されます。」と出てきますが、ここでも大使館のウェブサイトで申請しろとなっているし、VFS Globalというのは誤情報のようです。つまり、ダメ。

気を取り直して、なおも検索、AIの助けも借りやっとたどり着いたのが本国のサイト。ここで、問題を解決することが出来ました。

【手続き】
①バングラデシュ政府の公式オンラインポータル Bangladesh Online MRV Portalで、申込フォームに入力
②バーコード付きの印刷フォームが出てくるのでこれを印刷、
③その用紙に写真を添えて、大使館に持ち込む。
④手数料は無料

なお、本国のサイトに記載されている大使館の住所を見ると<目黒区目黒4-15-15>になっています。念のためにGoogleMapで見るとそこは何もない。
大使館の住所は東京赤坂なのに、と思ってよく調べると、どうも2016年3月末に麹町(紀尾井町)に移転したのに、本国のサイトは更新されていないことが判明。

受付時間は書いていないのですが、多分午前中だろうと、パスポートとともに持ち込むことに。(もう一度電話で受付時間聞けばよかったのですが、嫌気指していたので、あてずっぽうで午前中に訪問、正解でした。)

赤坂にあり、立派な建物です。専用窓口があり、先客が一人だけいました。先客は専門業者らしい人で、受付の人に「アライバルビザは暫く停止していると聞きましたが、本当ですか」と聞いていました。答えはYes、選挙が行われていてその期間中は停止しているとのこと。
事前情報によると、相互ビザ免除は停止したのですが、アライバルビザ(VOA)も利用可能、しかも無料とのこと。
ただ、当日空港で並ぶののがいやなので念のため事前にビザをとることにしていたのですが、危ういところでした。そんなこと、聞くまでわからないとは。

そんなこんなで、大変でしたが、無事、3日後に押印ずみのパスポートの返却を受けることが出来ました。

どうもこの国、観光にはあまり力をいれていないのでは、と思いたくなる対応でした。

出発、旅行開始

(1日目)

マレーシア航空に搭乗、乗り継ぎの待ち時間たっぷり

オンラインチェックインしてあったので、自宅でプリントした搭乗券で出国手続き完了。セキュリティーチェックもスムーズ、1005発のMH0089便に搭乗。嬉しいのはエコノミーなのにWi-Fiが使えたこと。素晴らしい。(帰りの便は、うまく使えませんでした。)

途中、クアラルンプールの長時間乗り継ぎを経て、予定どおりダッカのハズラット・シャージャラール国際空港に到着、入国もスムーズでした。

さすがに異国情緒たっぷり、肌の色は褐色ながら濃いのも薄いのも。概ねヒゲ、インド人を細くした感じの風貌、茶色のヒゲの人もいます。イスラム教徒が大多数なので、女性はヒジャブ、なかにはブルカですっぽり覆っている人もいます。

意外に思ったのは、インドとことなり、我先にという感じではなく、おとなしい感じ。

迎えに来た車は横浜トヨペツトのpremio、なんでも、新車が200%の税金を賭けられるのに対して、4年以上経過のの中古車は免除されるとか。

たまたま歴史的な選挙の投票日

到着した12日は、ちょうど総選挙の投票日。日本でも大きく報道され、それによりますと

2024年8月の政変以降、ムハンマド・ユヌス首席顧問率いる暫定政権が国を統治してきたが、国会議員は不在で、国民から選ばれた代表者による政治の復活が望まれていた。2008年を最後に、自由で公正な総選挙は行われておらず、18~35歳の有権者は実質的に初めて選挙に参加した。
総選挙では、女性枠の50議席を除く300議席が争われ、1の政党が計1,981人の候補者を擁立した。その結果、バングラデシュ民族主義党(BNP)が3分の2を超える209議席を獲得し、次の政権を率いることが決まった。ジャマティ・イスラミ党(JI)は、過去最多だった1991年の18議席を大きく上回る68議席を獲得した。学生らで構成される国民市民党(NCP)は、6議席にとどまった。 
同日実施された国民投票は、賛成多数(68.1%)を得た。(2025年11月14日記事参照)。政変を契機に暫定政権と政党間で合意した「7月憲章」で提示された4つの改革案について、国民の賛否が一括で問われた。賛成多数により、今後2期10年となる首相の任期制限や、比例代表制に基づき100議席を選出する上院の新設などについて、憲法改正の議論が進められる。

とのこと。
あいにく選挙の盛り上がりは見学できませんでしたが、投票日前日の水曜日と当日の木曜日が休日となっており、イスラム休日の金曜日、土曜日を加えて4連休となっており街もすいているとのことでした。 (14日付日経電子版より)

ガイドさんは熱心なBNP支持者、というか、前政権の評判が悪く、国民の大多数がそうだとのこと。
投票してきたと誇らしげに指を見せてくれました。二重投票防止のために、投票者の親指にマークするのだそうです。
良い仕組みですね、ろくろく身分確認もしない日本でも導入したらよい。



その後、旅行中、随所で祝賀会が開かれていたり、旗を掲げた青年たちが、勝利の気勢をあげていました。
(左の写真は、後日車窓から撮ったものです。3人乗りのバイク、大きな旗を持ったバイクなど集団で走り抜けていきました。)




ホテルに着いたのは23時、日本時間との時差は3時間です。
おやすみなさい。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。