インドのバラナシ(ベナレス)、ヒンドゥー教徒の聖地で、沐浴所(ガート)が並び、水の汚れもいとわず「聖なる水」で沐浴、火葬場では絶え間なく遺体を焼いている、火葬出来ない貧民は死体を川に流す、世捨て人が集まり瞑想にふける、そんな混沌とした場所と聞いていました。
一度は行きたいと思っていましたが、一人で行くにはハードルが高い、ということで、2024年10月30日から11月5日まで、ツアーで行ってきました。
早速、仏教四大聖地のひとつ、大菩薩寺に行きますが、もう夕方です。
着いた時にはもう夜、入口は大混雑しており、大観光地の体をなしていました。内部はカメラ禁止ということで、スマホを預けされられます。タッチ決済で詐取されたりしないかな?ほんのちょっと心配。境内撮影一切禁止かと思ったら不思議なことにレンタルカメラがあって、何、金儲けかよ。そういうことで、下2枚内部の写真は、カメラ借りた同行者からいただいたもの。
ツアーなので話に独自性はありませんが、その1で、「概略と仏教遺跡など」、その2で「バラナシ(ベナレス)」、その3で「タージマハルとその周辺」、その4で「人々の生活スナップ」の4回にわけて、スナップ写真中心に記録を掲載します。
今回は、その1でツアー概略と仏教遺跡などです。
ツアー申し込み
ツアー名:自分探しのインドひとり旅7日間 (クラブツーリズム)
実は、最初、阪急旅行社の「14の世界遺産を巡る壮大なインド夢物語12日間」を申し込んでいたのですが、人数があつまらなかったのか、催行中止になり、急遽、上記ツアーに駆け込み申し込みしたものです。自分はすでに見つけて諦めていたので、今更探す必要はなかったのですが。
インドはビザが必要
旅行社に任せる、大使館に出向く、というチョイスがありましがが、手数料を節約、出向くのは面倒ということでインド内務省のホームページから申請しました。
オンライン申請でも非常にわかりにくく、しかも偽サイトもあるとの噂。どなたかのブログで詳しく説明されていたので、それに助けられました。(大変お世話になったし、リンクを貼ればよかったのですが、どのサイトだったか失念しました、ごめんなさい。)
写真の要件が厳しく、手間取りましたが何とか成功、QRコードなどがプリントアウトされた物を、当日入管に提示すると、その場でパスポートにビザ発給のスタンプを押してくれる仕組みです。
ちなみに費用は、2024年10月現在USD25.00 1ヶ月ビザも1年ビザも5年ビザも同料金、5年は遠慮して1年で申し込みました。お陰でもう1回行かねば損だと悩む羽目におちいりました。
ツアー日程
1日目
10月30日(水)
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10:35羽田発 ANAのNH0837便で17:25デリー着(時差3時間30分) (Radisson
Blu Hotelデリー泊) |
2日目
10月31日(木)
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クドゥブ・ミナール、フマユーン廟観光後、14:45デリー発 インディゴ航空6E2414便でガヤ着16:20 ブッダガヤの大菩提寺観光 (Hotel Amand Internationalガヤ泊) |
3日目
11月1日(金)
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日本寺、スジャータ村、ナイランジャラー川、竹林精舎跡、ビンビサーラ王の牢獄、霊鷲山遠望、その後パトナへ移動、ナランダ仏教大学跡、(Hotel Patliputra Continentalパトナ泊) |
4日目
11月2日(土)
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バラナシへ車で移動、ダメーク・ストゥーバ、ムルガンドゥ・クティ寺院観光、Ramada
By Wyndham Varanasi KATバラナシ泊 |
5日目
11月3日(日)
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早朝ガンジス河沐浴見学、ボート乗船、13:00バラナシ発 インディゴ航空6E2321便にて14:30デリー着 (Saura Hotel デリー泊) |
6日目
11月4日(月)
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アグラへ移動、タージ・マハル、アグラ城観光 18:55デリー発 NH0838便搭乗 |
7日目
11月5日(火)
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5:55羽田着 |
まずはニューデリーのホテル
1日目の夕刻、ホテル入したのですが、入口の床にきれいな絵(米粒で描いたもの?)がありました。そう言えば、翌日の10月31日はディーパバリ(Diwaliディワリ)、新年の始まりを祝うヒンドゥー教最大のお祭りです。 卍は仏教ではと思っていましたが、帰って調べると、ヴィシュヌ神の胸の旋毛から、仏教では釈迦の胸に現れた吉兆の印(瑞相)なのだそうです。ヒンドゥー教と仏教は、ユダヤ教とキリスト教みたいな関係?と言ったら叱られますが。
(右の写真は、美味しそうだから思わず撮っただけの写真)
夕食はビュッフェ、これから毎日インド料理が食べられます。(1日だけ日本食がありました。これも結構おいしかった。)
フマユーン廟
バスでフマユーン廟に向かいます。16世紀のムガル帝国第2代フマユーン皇帝の霊廟、世界遺産です。
入口の前からして、いよいよ、という感じ。
右:ここでは、神聖な牛が入口を警備しています。(もちろん嘘ですよ)
あれ、タージ・マハル?と思いますが、こちらが先輩、タージ・マハルはこれを参考にしたのだそうです。
クトゥブ・ミナール
さて、クトゥブ・ミナール、これも世界遺産です。13世紀はじめにインド最古のミナレット(モスクの尖塔),高さ72.5メートル、直径14.3メートルでスが、当初は100メートルあったのだとか。全面に美しい彫刻が施されています。
ちなみに、インドの主要宗教はヒンドゥー教で人口の8割をしめていますが、次に多いのがイスラム教で、14.2%を占めています。仏教徒は0.7%で、ヒンドゥー、イスラム、キリスト、シーク、に次いでいます。ついでに言うと、カーストのないはずのムスリムにも、この国ではカースト的な序列が持ち込まれているといいます。
インドは政教分離を原則しているなか、モディ政権はヒンドゥー至上主義との批判を浴びており、宗教対立はあるようです。
彫刻が美しい。自然の造形も可愛らしいが。
大菩薩寺(マハーボーディー寺院)
昼食後、ガヤへ行きます。1000キロ近く離れており、世界地図でみると、すぐ北にあるネパールがすっぽり収まるくらいの距離、ローカル飛行機で1時間30分かかりました。
ガヤ空港は、ローカル空港というより、結構立派な空港です。
早速、仏教四大聖地のひとつ、大菩薩寺に行きますが、もう夕方です。
なお、四大聖地とは、生まれた生誕所ルンビニ、悟りを開いた成道所ブッダガヤ、初めて説法をした初転法輪所サールナート、亡くなった涅槃所クシーナガラの4つですが、ルンビニはネパールにあるし、クシーナガラはガヤから300キロも離れているので割愛、今回のツアーではブッダガヤとサールナートの2聖地に行くことになります。
3世紀頃、マウリア朝アショーカ王がここに小さな舎を建てたものが始まり、その後大きくなり、19世紀に今の姿になったそうです。
着いた時にはもう夜、入口は大混雑しており、大観光地の体をなしていました。内部はカメラ禁止ということで、スマホを預けされられます。タッチ決済で詐取されたりしないかな?ほんのちょっと心配。境内撮影一切禁止かと思ったら不思議なことにレンタルカメラがあって、何、金儲けかよ。そういうことで、下2枚内部の写真は、カメラ借りた同行者からいただいたもの。
日本寺
2日目の夜はガヤに宿泊、3日目は朝からブッダガヤ観光です。
まず、日本寺。正式名称はインド山日本寺(いんどさんにっぽんじ)、そのいわれを公益財団法人国際仏教興隆協会のサイトから抜粋引用します。
1956年、インド政府は仏教紀元2500年を祝いブッダガヤを仏教による世界平和の本拠地とする宣言をし、各国に対して参集を呼びかけました。これに日本の仏教徒が賛同し、宗派や寺派の違いを超えてこのブッダガヤの地に日本の寺を建てようと合意、1973年、十間四方の純日本寺院建築で、大梵鐘を備えた鐘楼と一緒に(本堂が)落成しました。ビルマ(ミャンマー)寺、セイロン(スリランカ)寺、中華民国寺、チベット(ゲルク派)寺、タイ寺に次ぐ6番目の外国寺院としての出現でした。
よく手入れされていて、50年前につくられたものとは思えません。日本の僧侶がお勤めをしているとのことなので、頑張っておられるのでしょう。
鐘楼、宿泊施設、図書館などが併設されているそうです。かってのパックパッカーたちのバイブル的な本、「深夜特急」を書かれた沢木耕太郎さんも、ここに泊めていただいたと文中に書いておられます。
日本人とおぼしき御婦人が一心に祈っておられました。インド在住のかたでしょうか、悩みが解決されますように。
右の看板、ここで寝るなと書いてあるのが面白い、そういう輩がいるんでしょうか。
なんともはやスジャータ村
釈尊は悟りをひらくために激しい苦行を行ったが、苦行では悟りを得ることは出来ないことに思い至ります。そして修行をしていた山を下りナイランジャナー川で身を清めたあと、衰弱のため動けなくなります。そんな釈尊にスジャータが乳粥を差し上げたところ、疲労回復され、そばの森の菩提樹の下で瞑想、やがて悟りを開かれたといわれています。はいっていくと、いくつか、スジャータが乳粥を供養している像があります。一つじゃない、図柄もマチマチバラバラ、共通点はどれも下手で、村の人たちの手作り感満載、キッチュさに於いてはタイガーバームガーデンに引けをとらない。
骨と皮だけになった骸骨のような釈尊の像が有名ですが、ここではふくよかで僧衣をまとっています。ヒンドゥーの国らしく牛がいたりします。まあ、乳粥の製造元なのかもしれませんが。スジャータも、白雪姫なら毒リンゴじゃないかと疑わせるような顔をしています。
これが菩提樹。派手派手しく飾られています。右のは、ただいま修行中のヤギ。
一所懸命、お金を稼ごうという村人たちの思いが伝わる場所でした。
ラジギールへ
そのナイランジャナー川では、村人が魚をとっていました。大菩薩寺が遠望されます。
バスでラジギールへ向かいます。
途中、貨物列車に遭遇、日本でいうとEH200ブルーサンダーといった感じの機関車に数え切れない貨車をつなげています。複線電化で、幹線が走っているのでしょう。屋根の上に大勢の人をのせているインド名物の列車をみたかったなぁ。
ラジギールはマガダ国の王舎利があったとされる盆地で、聖地のひとつ。
やがて多寶山佛舎利塔とかかれたゲートがあり、もう少し行くと、駐車場や土産物屋がならびますが、じゃあ、どこを見るの?ずうっと遠くの山の上なのだとか。ロープウェーも走っています。
その山は、霊鷲山と行って、釈尊が晩年の説法された場所といわれています。
ビンビサーラ王の牢獄跡だそうです。ビンビサーラ王は竹林精舎を釈尊に寄進した王様でスが、息子によって牢獄に閉じ込められ、食事も与えられなかったのだそうです。深い事情は存じませんが、そういう説話があるために観光スポットになって看板まで2箇所もありますが、爺さん婆さんがゲートボールでもやっていそうな、ただの広場です、見る価値ゼロ。
数キロほと行くと、竹林精舎跡に着きます。ビンビサーラ王の寄進により最初に建てられた竹林精舎跡はきれいに整備されていました。
インド=ゴミゴミ=混沌、と言ったイメージとは別世界です。
ナランダ仏教大学跡(ナランダ僧院)
更に数キロ、ナランダ仏教大学跡を観光します。5世紀から12世紀まで運営されていた世界初の全寮制大学といわれて、全盛期には1万人の学生と1500人の教授がいたと言われます。
巡礼?のおばあさんたち。ほかでも白装束の人たちを見かけました。各国の仏教団体がツアーを組んでいるのでしょうか。
サールナートへ
約100キロほど離れたパトナに到着、その日はパトナのホテルに泊まります。
翌日4日目、この日は更に250キロはなれたバラナシに移動するのですが、バラナシのホテルにはいる前、サールナートに寄ります。
サールナートは「鹿野苑(ろくやおん)」とも言われ、釈尊が初めて説教を行ったといわれる聖地です。ヒンドゥー教の聖地、バラナシから10キロも離れていない場所にあります。
園内には、ダメーク・ストゥーパという、巨大な仏塔があります。ここでは釈尊が最初の5人の弟子に、最初の説教が行われたと言われます。繊細な彫刻が美しいです。
左は土台。右のニョキニョキは怪しいものではありません、アショカ王の石柱(折れてしまっている)
このあと、バラナシのホテルに行きます。バラナシ観光は翌日、(その2)にてご紹介します。また、途中での人々の風景などは、その4でまとめてレポートします。
鹿野苑を出てすぐのところに、ムルガンドゥ・クティ寺院(初転法輪寺)があります。
左:お釈迦様の生涯を描いた壁画がありますが、これは日本人の野生司香雪画伯が描いたものだそうです。 右:初転法輪像
ということで、あっちこっち行きました。もっと仏教を勉強してから行けばもっと味わいがあったかもしれません。
このあと、バラナシのホテルに行きます。バラナシ観光は翌日、(その2)にてご紹介します。また、途中での人々の風景などは、その4でまとめてレポートします。
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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