2025/02/08

北欧バルト8カ国一人旅(その14)リトアニア カウナス (2024年9月)

(15日目、16日目)

リトアニアの首都、ヴィリニュスで2泊したあと3日目の朝、100キロほど離れた、ソ連併合前の臨時の首都だったカウナスに移動します。

次の目的地ポーランドに直行せずカウナスに寄るのは杉原千畝記念館を訪問するのが主な目的です。


杉原千畝について

知る人は知るですが、念の為に簡単に記します。

2005年、終戦60年を記念して「日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ」というテレビドラマが公開されているので、ご存知の人も多いと思いますが、以下、ChatGPTの助けを借りて簡単に説明します。

Q: 杉原千畝が日本のシンドラーと言われるゆえん、何をしたのかを簡単に説明してください。また、同様の働きをした日本人が他にもいるので、これについても触れてください。

A:杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアの日本領事館で領事代理を務めていた外交官です。彼は1940年、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとする多くのユダヤ人難民に対し、日本政府の方針に反して大量のビザ(通過査証)を発給しました。これにより約6,000人のユダヤ人が命を救われたとされ、「日本のシンドラー」とも呼ばれています。シンドラーとは、ホロコーストから多くのユダヤ人を救ったドイツの実業家、オスカー・シンドラーのことです。

杉原千畝以外にも、戦時中にユダヤ人を救った日本人がいます。その一人が 樋口季一郎(ひぐち きいちろう)中将 です。樋口季一郎 は、日本陸軍の軍人で、満州(現在の中国東北部)に駐在していました。彼はナチスと同盟関係にあった日本政府の方針に逆らい、ナチスから逃れてきたユダヤ人約2,000人を満州へ受け入れるよう指示しました。彼の決断により、多くのユダヤ人が命を救われました。

ほかに聞いた話では、こうやって日本にたどり着いた人たちが次の渡航地に行くまでビザ延長についてヘブライ語学者の小辻節三が当時の松岡外務大臣に働きかけたり、警察署を説得したりして、強制送還をまぬがれるように尽力したそうです。

もしかしたら、杉原氏や樋口氏についても、本国がナチスへの配慮による建前とは別に彼らの行動を黙認した可能性もあるのではと思います。(よく存じません)

杉原千畝や樋口季一郎のような人がいたことは日本人の誇りだし、ユダヤ人社会において今も語り継がれユダヤ人が比較的親日的だとされる理由のひとつにもなっています。

列車でカウナスに移動

ヴィリニュス駅10時10分発のリトアニア鉄道LG Train線に乗車、11:33にカウナス駅に到着しました。




ヴィリニュス駅は首都だけあってなかなか立派な駅舎です。列車もかっこいい。

昼間の乗車なので、沿線の景色を楽しむことが出来ます。途中の駅はなかなかかわいらしい。
                 
到着したカウナス駅のホームでは、映画の一シーンのような兵士と女性の抱擁シーンを鑑賞させていただきました。すぐお隣がウクライナですがウクライナには派兵していないはずですが、別れを惜しんでいるところの無断でのショット、顔を出していないのでお許しください。




杉原千畝記念館


駅を出ると大通りをはさんで、公園があり、そこをぬけると杉原千畝記念館があります。
地図で見ると500メートル位の場所ですが、急な上り階段が続き、上がったところは普通の住宅地。大きな看板があるわけでなく、民家のようなところを半信半疑でのぞくと、入口ドア近くに表札がありました。
折から、でてくる日本人男性とすれ違いました。今度の旅行を通じて日本人はほとんど見かけなかったので、珍しい。なんで知ったのか若いのに感心です。



中の展示は、ほとんどが現地人向けで、日本語表示は少しだけ。2,3人の来訪者もいました日本人は入口ですれ違った人のみでした。
右の写真が、例のビザ。簡単に名前だけサインするのかと思っていたら結構長々しい。6000人のうち家族でまとめたのもあるかもしれませんが、帰国直前まで発給し続けたといいますから、手も痛くなったことでしょう。

日本人むけに記念のスタンプが用意されていました。「実際に使用されていたスタンプです」とまではわかるのですが、その後が笑ってしまいました。
曰く「パスポートには押さないでください」

 
ちょうど約1年前、令和5年(2023年)5月に岸田首相(当時)も令夫人同伴で来訪されたようで、日本国総理大臣から館長への礼状が署名入で掲示されていました。
私は入館料5ユーロ払っただけで礼状を出しませんでしたのが心残りです。













 

整然としたカウナスの街

丘を降りると市街地が広がります。車道は遠回り、歩いて降りる道は標識もなく山道のようで、オンラインマップが使えなかったので、実は間違えて個人宅に侵入してしまいました。
ガーデンの扉をこっそり開けて外に出、やっと本来の階段道にですことができました。ノービザだったのでみつからないでよかった。
おりたところにあるのは、カウナスモスク、そこをとおって大通りに出、独立広場に出るとそこから真っ直ぐな一本道、ライスヴェス通が旧市街にむかって伸びています。

下の写真左はカウナスモスク、右は聖ミカエル教会、こちらは独立広場の真ん中にそびえています。


左は右は聖ペテロ&パウロ大聖堂。


左はヴィータウタス大公戦争博物館にあったモニュメント

 
所々にブロンズ像が置かれてあります。
左のは実用品で芸術作品ではないようです。右はシナゴーグ、一本道を抜けて旧市街地にはいる交差点付近の目立たないところにありました。

  

旧市街地




ネムナス川のほとりにヴィータウタス大公教会があります。これは15世紀につくられたゴシック様式によるもの。

そのそばにペルクーナスの家があります。これは15世紀にたてられたゴシック様式の傑作なのだそうです。
でも私には花より団子で、ジビエレストランにはいりました。食材の残りカスが壁に貼られています。


カウナス城

13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐためにつくられた城で今では修復された塔と城郭のいちぶが残り、観光名所となっています。


小雨が上がり、鳥や子どもたちが水たまりで遊んています。

カウナス城の付近には聖フランシスコ・ザビエル教会(左)、カウナス神学校(右)がありました。

カウナスには1泊して、翌朝、バスで隣国ポーランドの首都ワルシャワにむかい、そこから列車でクラクフに行きます。クラクフでは2泊して、アウシュビッツ博物館を見学、そのあとワルシャワを経由して帰国する予定です。旅の後半は、戦争絡みの見学が多くなってしまいました。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。

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