リトアニアの首都、ヴィリニュスで2泊したあと3日目の朝、100キロほど離れた、ソ連併合前の臨時の首都だったカウナスに移動します。
次の目的地ポーランドに直行せずカウナスに寄るのは杉原千畝記念館を訪問するのが主な目的です。
杉原千畝について
知る人は知るですが、念の為に簡単に記します。
2005年、終戦60年を記念して「日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ」というテレビドラマが公開されているので、ご存知の人も多いと思いますが、以下、ChatGPTの助けを借りて簡単に説明します。
Q: 杉原千畝が日本のシンドラーと言われるゆえん、何をしたのかを簡単に説明してください。また、同様の働きをした日本人が他にもいるので、これについても触れてください。
A:杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアの日本領事館で領事代理を務めていた外交官です。彼は1940年、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとする多くのユダヤ人難民に対し、日本政府の方針に反して大量のビザ(通過査証)を発給しました。これにより約6,000人のユダヤ人が命を救われたとされ、「日本のシンドラー」とも呼ばれています。シンドラーとは、ホロコーストから多くのユダヤ人を救ったドイツの実業家、オスカー・シンドラーのことです。
杉原千畝以外にも、戦時中にユダヤ人を救った日本人がいます。その一人が 樋口季一郎(ひぐち きいちろう)中将 です。樋口季一郎 は、日本陸軍の軍人で、満州(現在の中国東北部)に駐在していました。彼はナチスと同盟関係にあった日本政府の方針に逆らい、ナチスから逃れてきたユダヤ人約2,000人を満州へ受け入れるよう指示しました。彼の決断により、多くのユダヤ人が命を救われました。
ほかに聞いた話では、こうやって日本にたどり着いた人たちが次の渡航地に行くまでビザ延長についてヘブライ語学者の小辻節三が当時の松岡外務大臣に働きかけたり、警察署を説得したりして、強制送還をまぬがれるように尽力したそうです。
もしかしたら、杉原氏や樋口氏についても、本国がナチスへの配慮による建前とは別に彼らの行動を黙認した可能性もあるのではと思います。(よく存じません)
杉原千畝や樋口季一郎のような人がいたことは日本人の誇りだし、ユダヤ人社会において今も語り継がれユダヤ人が比較的親日的だとされる理由のひとつにもなっています。
列車でカウナスに移動
ヴィリニュス駅10時10分発のリトアニア鉄道LG Train線に乗車、11:33にカウナス駅に到着しました。
杉原千畝記念館
ちょうど約1年前、令和5年(2023年)5月に岸田首相(当時)も令夫人同伴で来訪されたようで、日本国総理大臣から館長への礼状が署名入で掲示されていました。 私は入館料5ユーロ払っただけで礼状を出しませんでしたのが心残りです。 |
整然としたカウナスの街
丘を降りると市街地が広がります。車道は遠回り、歩いて降りる道は標識もなく山道のようで、オンラインマップが使えなかったので、実は間違えて個人宅に侵入してしまいました。左は右は聖ペテロ&パウロ大聖堂。
旧市街地
カウナス城
カウナスには1泊して、翌朝、バスで隣国ポーランドの首都ワルシャワにむかい、そこから列車でクラクフに行きます。クラクフでは2泊して、アウシュビッツ博物館を見学、そのあとワルシャワを経由して帰国する予定です。旅の後半は、戦争絡みの見学が多くなってしまいました。
読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。
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