2025/02/16

ベトナム北部国境付近ハザンの少数民族と棚田を訪ねる(その4)棚田、渓谷、絶景の数々

(3日目 2月2日)

中国と国境を接する北部の山岳地帯を行く旅の後半です。

3日目の2月2日、日曜日ベトナムで最も美しい峠といわれるマ・ビ・レン(Ma Pi Leng)峠を通り、東南アジアでもっとも深い峡谷トゥサン峡谷(以上、いずれも主催者側発表)を見物、ニョークエ川のダム湖でクルージングをします。メオ・ヴァック(Meo Vac)にて昼食をとったあと、タイ族が住んでいるドゥ・ギア(Du gia)村のホームステイ先に行きます。

ドンヴァンの朝市

早起きし、6時に市場に向かいます。毎週日曜日に開かれる朝市がお目当て、今回のツアー設定に際してもツアー会社の提案で、土曜日にドンヴァンに泊まるようにしました。

ガイドのソンさんよると、テト正月のため、本来の賑はないとのことですが、豊かな食材や、食べ物が並んでいました。

寒いのでダウンジャケットを着込んでいますが、テトで着飾っているのではなく、これが普段の姿ということでしょう。普段使いしているのに鮮やかな民族衣装がなぜ色褪せないのか不思議です。

すべて新鮮、食材は豊かです。

タケノコは日本のように掘るのではなく、生えているものを収穫するとのことですが、柔らかくて美味しいです。右の下はもやしですが、その上に写っているものは梨? なにか大事そうにくるんでいるからデリケートなもの?

市場に行ったあと、食堂でヴァインクオンを食べました。その左上にみえている緑色の物体は、市場で買った粽の皮(葉っぱ)。 左の写真は市場に並んでいる豆腐です。

マ・ビ・レン(Ma Pi Leng)峠からの眺望

霧にけぶっていて眺望はもひとつですが、それはそれで幽玄な素晴らしい景色です。およそトンネルというものがないので、ちょっと隣の村にいくのにも山を登って、また降りていきます。右の写真では、下の方にニョークエ川が見えています。

休憩所の横にある急勾配を、葉っぱの束を背負った人が降りてていきます。下に家があるのでしょう、山で刈って家畜の資料にするのでしょう。そうかと思えば、赤ん坊を背負ったお母さんが登ってきました。交通の足であるバイクが停めてあるのでしょうか、それとも休憩所にある売店に用事があるのでしょうか。


ニョークエ川のダム湖でクルージング

ヘアピンカーブが連続するくねくね坂をおりていくと、ニョークエ川のダム湖付近に至ります。チケットオフィスで切符を購入、電動バスで船着き場まで移動、乗船しました。

船着き場のそばで売っているトウモロコシと餅を買いました。もち米でできたものですが、混ぜる食材によって色が異なります。人工着色料ではないと思います。トウモロコシは固くて甘くなかったですが、連れに言わせれば昔の味がして美味しいとのことです。

メオ・ヴァック(Meo Vac)

メオ・ヴァックで昼食をとりました。大きな村で近郷近在?からの人々が集まっています。テトで着飾っているのでしょう。少数民族たちも普段は、頭だけはカラフルな布をかぶっていても、必ずしも民族衣装をまとっていないそうです。例外はモン族で、比較的民族衣装にこだわっているそうです。

各種のお店が並んでいます。スーパーマーケットもあり、(多分)都会とあまり変わらないものが並んでいます。

ご飯について

ここで昼食をとりました。

食事の定番は、野菜や肉とご飯。御飯の上に野菜や肉を乗せて食べます。それか、ホーやブンボーなどの汁そば、コム・ザン(Cơm Rang)といわれるチャーハンなど。ハノイと異なりバインミーなどのパンはありません。

今まで、何回も白飯がでてきましたが、いずれも細長いインディカ米ではなく、日本のようなお米で粘り気もあるジャポニカ系でした。なかなかおいしいと思います。聞くところによるといろいろな種類のものが作られ、依然インディカ米が主流ながら最近はジャポニカ米が増えてきているということです。

ドゥ・ギア村のホームステイ先、Chen's Lodgeへ

ワゴン車はまた山道を走ります。


峠の休憩所では、娘さんたちが集まっていました。民族衣装は着ていませんが、テト休みを楽しんでいる現地の山の民のようです。バイクはもちろん遊び用ではなく生活の大事な道具です。

タイー族が営むホームステイ先に到着、真新しくて凝った作りです。オーナーは英語を話し、2017年に作ったといいますから可哀想にコロナ前?

水上ハウスです。夏でなくてよかった、下を魚が泳いでいますがこれは絶対蚊がでる。

バスタブがあるどころか日本の檜風呂のよう。どうしたのかと聞いたら、ハノイで買ったと自慢そうでした。日本帰りの人が流行らせた? お湯をはった同行者によれば、途中からお湯がでなくなったと。やっぱりね。

ベッドルームは2階建て。急階段で怖かった、スペースはもっととれるのにさすが山岳民族。


小洒落たバーなんかもあり、夕食は本来ここで食べるところですが、ガイドのソンさんいわく、テトで親類たちが集まり大宴会になる、ご主人は一緒に食べたら、といってくれているが、そんなことしたら沢山飲まされてなかなか眠らせてもらえいない、と。

近所を散策して、別のホームステー宿で夕食をとりました。

旅行最後の晩にふさわしく大ご馳走です。もちろんトウモロコシの蒸留酒ルオンゴーもついています。

ガイドのソンさんもドライバーのラオさんも、いつも泊まる宿は別、多分ランク下の宿でしょう。今回もお向かいの家にお泊り。ツアーではガイドたちは(疲れるので)客と別の場所で食べることが多いということですが、今回のツアーではいつもお付き合いくださいました。ラオさんはお酒好きとのことですが、いつも2杯くらいでやめています。ベトナムでは交通取締が厳しいのだそうです。

宿に帰ったら、宴会が始まっていました。男性陣の到着はまだのようで、女性が多かった。飲んでけと勧められましたが、こちらの女性は酒豪揃い、女だと言って侮れません。またとない経験で楽しそうなので後ろ髪引かれましたが、ご遠慮申し上げました。

左の写真の右隅の紫色はバーカウンター。高床の大広間にゴザを敷いて車座になっています。宴会にはワンコも同席、子どもはスマホゲームです。(右)


(4日目 2月3日、帰国の日)

翌日、一路空港に行くかと思ったら、いくつか寄り道しながらでした。

ソンさんいわく、自分たちとしても久しぶりのハザン行き、普段は毎日毎日ハロン湾やチャンアン・ホアローなどハノイ近郊ばかりのガイドの繰り返し、今回は新鮮で自分たちも楽しんでいるとのこと。そういうこともあってツアーで決められたコース以外のサービスメニューのようです。あるいは次回以降のツアー設計の参考にする狙いがあるのかもしれません。

朝食をとった村の食堂の様子です。ホーを食べました。

途中、バイクが何台か脇道へ走っていくのでついて行ったら、また集まりがありました。まだ開始前か、続々と集まってきます。人口が多いとはいえない山の中のこの地でこれだけ会場をうめるためには、随分遠方から集まってくるのでしょう。二人連れで楽器を抱えた老婦人が歩いて来たのでみせてもらいました。あとで調べたところでは、ダン・ティン (Tính tẩu)現地読みではティン・タウ)のようです。タイー族によって用いられる撥弦楽器で、胴は椰子の実かと思ったら乾燥させた瓢箪だとか。

ハザンに到着

省都だけあってさすがに大都会。ハザン市の人口は89万人ですから日本でしたら優に政令指定都市、12位の千葉市が98万、北九州市が91万、堺市が81万人ですから14位にはいります。

途中の食堂です。水タバコが置いてあって、誰でも使用できるようです。大抵の食堂にはサービスでお茶とタバコが置かれているのだそうです。直接口をつけるわけではありませんが、使い回しはちょっと。まあ、タバコ自体が体に悪いわけですが。

民家突撃訪問で無理難題

予定外ですが棚田のビューポイントがある、というので少し寄り道。

今までよりなだらかな斜面が広がり、水が張られかけている美景を見物したあと、もとの道に戻る途中、茶畑のあるあたりで、小洒落た家がありました。

そこにいた男性に民具の写真をとらせてもらったあと、ソンさんが話をつけて、民族衣装を見せてもらうことになりました。

右はココナッツを削ったもの?それともきのこ?

最初は男性用の肩掛けのような衣装を広げてみせてくれるだけでしたが、興が載ってきたのか、妻子も呼び寄せてみんなで着てみせてくれました。

写真を皆に見せてよいかと聞いたらいいよ、とのことでしたが、一応ぼかしを入れました。恥じらいを浮かべた笑顔、みんなの表情がとても素敵だったのですが。

知り合いだったのか、偶然だったのかわかりませんが、ソンさんもしきりに写真撮っていたところから見て、観光演出ではなく突然の訪問、依頼だったのだと思います。本当に素朴で親切な人たち。ザオ族?聞きそびれました。

さすがに、こどもにご祝儀?を渡していました。

 男性は上のほうを折り曲げるのだそうです。しかし、皆さん、体も足もスマートで、どこから急斜面を昇り降りするパワーがでてくるんでしょうね。


ベトナムの少数民族

これについては(その1)でも簡単に触れましたが、特徴など、調べたものをほぼ丸写し、以下に記します。

ベトナムには54の少数民族が存在し、彼らは独自の文化や生活様式を持ちながら主に山間部や農村地域で生活しています。

人数は2015年時点で約1,339万人で、全人口の約14.6%を占めています。

主な民族としては、タイー(齊)族(約196万人)、モン族(約147万人)などが挙げられ多くは山間部や農村部に住み、棚田を利用した農業や家畜飼育、機織りが主な経済活動を営んでいますが、近年では観光業への転換も進んでいます。

しかしながら最近では、工業化・近代化政策により、医療保険制度や生活インフラ(道路、水道、電気)の整備が進み、生活の利便性が向上、現金収入を得る機会も増えています。ただし、一部地域では依然として貧困や医療アクセス不足が課題です。

近代化が進む一方で、多くの少数民族は宗教や伝統的価値観を維持しています。例えば、チベット仏教などの信仰心は依然として強く残っています。総じて都会にでず保守的な傾向があり、特に女性は14くらいで結婚し高校に行かず、ベトナム語も解せず都会に出ずに一生を終えるひともいるそうですが、義務教育費の無償化や少数民族への教育支援政策により進学率が向上、これに伴い、若い世代が都市に移住するケースが増えています。

反面、織物や刺繍など伝統的な技術や文化は、教育機会の増加や都市部への移住により継承が難しくなっています。一方で、観光業を通じて一部の文化が保存・活用される動きもあります。

これらの変化は「伝統」と「現代化」の間で揺れ動く少数民族の姿を映し出しており、それぞれの地域や民族ごとに異なる適応戦略が見られます。

帰国

19時頃空港に到着、お世話になったSouthern Breeze社のソンさん、ラオさんと別れました。今回のコースは下記のとおりです。

素晴らしいガイド、運転手さんでした。毎日早朝から夜遅くまで、ご案内くださいました。難所続きの山道の運転、大変だったと思います。

お陰でたっぷり楽しませていただきました。ありがとうございました。

このツアー、絶対おすすめです。(その1)にも示しましたが、参考までにリンクをはっておきます。

Veltra 「ベトナム最北端の秘境ハザン3泊4日ツアー 絶景と山岳民族に出会う旅<ハノイ発/食事付き/日本語or英語ガイド>」車利用プラン(日本語ガイド) USD747 


このあと、23:55発のJAL767便にて翌6:35頃、無事成田に帰着しました。

飛行機の中は、2年ほど前にホーチミンから乗ったときは、技能実習生らしい人が沢山のっていましたが、今回は家族連れなど普通のベトナム人が多い気がしました。

働き先としての、日本の人気がなくなったのか、ハノイとホーチミンの違いなのか、テト休みだからか、そのへんはわかりません。


*このあと、(その5)に続きます。時間は後先しますが、ハザンに行く前の市内観光、チャンアン観光について簡単に記録したものです。


読んでくださりありがとうございました。普段から健康に気を配られて、機会をみつけ元気に旅行に出られますように。



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